◆東日本大震災の鉄道被害について(その1)(岩手県)◆

◆2011年4月2日(土)撮影
 先日、青森県太平洋岸に住んでいる親戚に会いに行ってきました。本来であれば早めに行きたかったんですが、ガソリン不足で身動きがとれない状況で、この日ようやくガソリン調達のめどがついたのでようやくという状況でした。先日の津波で被害を受けたのですが、震源域から遠いところにあったのが幸いして親戚の住んでいる町では人的被害はなかったそうです。でも、海岸部には津波がきたそうで、建物の被害がありました。

 今回の行程は、青森県八戸市から沿岸部を走る国道45号線を南下して、岩手県宮古市手前の岩泉町小本地区まで行き、そこから盛岡に通じる国道を走って帰るというものでした。

 JR八戸線と三陸鉄道の復旧は相当時間がかかり、三陸鉄道自体は経営基盤が弱いので廃線の可能性すらあるかなと思いましたが、沿岸住民の貴重な足なので、何とか復旧して欲しいです。
JR八戸線
青森県と岩手県の太平洋沿岸部を走るJR八戸線は、陸中八木周辺から海に接近してすれすれの所を走行します。
陸中八木駅周辺
この地点は昔から、日の出を背景にした写真をとることが出来る撮影スポットとして有名でした。

宿戸〜陸中八木間にある橋梁。完全に流されていました。

陸中八木駅近くにある橋梁。右半分が流されていました。

陸中八木駅。ちょうど大人の肩当たりまで浸水したそうです。工事用車両が横転していて、浸水が相当規模だったことがわかります。
有家駅
有家駅。ここは海岸からすぐの所にある駅で「秘境駅」としても有名です。


待合室も津波の被害を受けました。

左写真とほぼ同じ方向から撮影(震災前の去年6月)。

有家駅すぐ近くの地点。ここは撮影スポットとして有名なところで、今年にでも撮影に行こうかと考えていました。写真左が海岸。本来は写真左に線路が続くはずですが、写真右に線路が流されています。

左写真とほぼ同じ方向から撮影(震災前の去年6月)。

線路のあった堤沿いを有家駅に向って撮影。写真中央部にある線路が海岸のある写真右から写真左に流されているのがわかります。

飴細工のように曲がっている線路。津波の恐ろしさが見て取ることが出来ます。
三陸鉄道
その後、久慈市を通って、野田村まで移動。野田村はあまり知られていませんが津波の大被害を受けた最北端であり、市街地部分が壊滅してしまいました。ここを通っている三陸鉄道もこの地域から南で甚大な被害を受けました。この時は、久慈駅〜陸中野田駅までが復旧していました。三陸鉄道は第三セクターとしての運営ですが、近年赤字に陥って、岩手県からの補助金で何とか経営が成り立っている状況で、再開のめどどころか廃線の危機に立っているとも言われています。

陸中野田駅周辺の路線。何の変哲もない砂利道のように見えますが、ここが三陸鉄道の線路跡。線路は写真右に流されていました。


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