◆JR北陸本線(滋賀県・福井県・石川県・富山県・新潟県)◆

◆2014年5月6日(火)、5月7日(水)、5月8日(木)、10月3日(金)撮影
(概要)
 北陸本線(ほくりくほんせん)は、滋賀県米原市の米原駅から新潟県上越市の直江津駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、日本貨物鉄道(JR貨物)の通称「敦賀港線」とも呼ばれる敦賀駅〜敦賀港駅間の貨物支線を持つ。

(歴史)
 北陸本線は全線が官営鉄道として建設された。長浜駅〜敦賀港駅間は東海道線の支線として日本人技術者の手で建設され、1889(明治22)年に同区間が開業した。敦賀港が1899(明治32)年に国際港として開港するとロシアなど大陸との定期航路に連絡する列車が運行されるようになった。

 当初、木ノ本駅〜敦賀駅間は塩津経由で計画されていたが、諸事情により柳ヶ瀬駅経由で敷設された。これには柳ヶ瀬駅〜今庄駅間に連絡線を敷設する意図もあったそうである。その後、後述のように紆余曲折を経て68年後の1957(昭和32)年の近江塩津駅経由の新線への切り替えにより当初の計画通りの路線に落ち着いた。また柳ヶ瀬トンネル掘削工事は難航し、トンネルが開通するまでの2年ほどは雁ヶ谷駅〜洞道西口駅間は峠越えの徒歩連絡であった。

 福井・金沢・富山方面への延伸にあたっては、政府の財政難から民間資本による建設が計画されたが、不況で資金が集まらず会社設立まで至らなかったり、鉄道敷設の仮免状下付にまで漕ぎ付けたものの内紛から着工することができなかったため、結局その後、敦賀以北も官営鉄道として建設することが決定され、1893(明治26)年に着工された。

 1896(明治29)年に敦賀駅〜福井駅間が開業し、同年に北陸線と命名された。この時、敦賀駅〜今庄駅間は険しい山地を避け海側の杉津駅経由で建設されたが、それでも25‰の急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所となった。「北陸線の盲腸」とまで謂われた路線ではあるが、その路線風景の美しさは鉄道唱歌にも詠われたほどである。時の大正天皇が行幸行脚した際には杉津駅で汽車の発車を止めて、しばし眼下に広がる敦賀湾の眺望を堪能したという逸話も残っている。

 路線はさらに延伸され、1899(明治32)年には富山駅まで開業した。当時の富山駅は神通川の付け替え(馳越線)の計画があったことなどから、1903(明治36)年に神通川が付け替えられた後の1908(明治41)年に神通川橋梁が完成するまで神通川左岸にあたる田刈屋に設けられた。

 北陸最大の難所といわれる親不知海岸を通る富山駅〜直江津駅間は富山線(富山東線・富山西線)として建設された。1909(明治42)年の線路名称制定時に米原駅〜魚津駅間が北陸本線とされ、糸魚川駅までは北陸本線として開業し、糸魚川駅〜直江津駅間は信越線の一部として開業した。そして1913(大正2)年に最後の青海駅〜糸魚川駅間が開業し、米原駅〜直江津駅間の全線が北陸本線となった。

 全通してからは輸送力増大のため、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となった。

 木ノ本駅〜敦賀駅間は日本初のダイナマイト掘削による柳ヶ瀬トンネルなどを含む鉄道敷設黎明期の旧規格の急勾配区間であり、開業時より土砂崩落、雪害、線路凍結やヤスデ異常繁殖による車輪空転事故、トンネル内の窒息事故などが頻発していた。就中、1928(昭和3)年12月の柳ヶ瀬トンネル内の窒息事故を契機に深阪経由の新線を敷設することが決定した。戦争を挟んで工事が一旦、中断したものの戦後第一次5か年計画として1952(昭和27)年に再開。不況により再度中断するもの1957(昭和32)年に木ノ本駅〜敦賀駅間が近江塩津経由の新線に切り替えられた。この時、同区間の旧線は柳ヶ瀬線として分離される。その後、柳ヶ瀬線は勾配区間用にエンジン2基搭載したディーゼル車キハ52を投入したものの、赤字線から脱することができず、北陸本線並走区間複線化への路盤提供のためもあり、1964(昭和39)年に廃止されている。

 引き続き第二次5か年計画として敦賀駅〜今庄駅間の改良工事に着手。1962(昭和37)年には全長13,870mの北陸トンネルが開通し、敦賀駅〜今庄駅間が新線に切り替えられ、杉津駅経由の旧線は無事故を記録したまま廃止された。

 現在、木ノ本駅〜敦賀駅〜今庄駅間の旧線ルートの大半には北陸自動車道が通っている。刀根下り、杉津上り両パーキングエリアはかつての駅跡である。この路線変更によりかつての急行停車駅であった中ノ郷駅・今庄駅近辺は寂れ、杉津駅が廃止されたことにより、越前海岸に停車する駅が失われた。柳ヶ瀬区間および杉津区間の在りし日の記録フィルムが2004(平成16)年に発掘されJR西日本金沢支社の手で編集、DVD化されている。

 路線改良はこれに留まらず、勾配緩和を目的とした倶利伽羅峠越えや、海岸沿いの断崖に沿って急曲線の続く親不知付近や、さらにはフォッサマグナ西縁部にあたり、地盤が脆弱で地すべりによる脱線転覆事故が多発していた浦本駅〜直江津駅間など、いずれも長大なトンネルを含む新線に付け替えられ、輸送力や速度向上、輸送障害の減少などが計られた。一方で風光明媚な海岸線の眺望などの喪失を残念がる年配者の声もある。

 電化および複線化も順次進められた。1957(昭和32)年に田村駅〜敦賀駅間が電化され、1969(昭和34)年には全線の電化・複線化が完成した。田村駅〜梶屋敷駅間の電化では交流60Hzが採用されたが、交流電化としては仙山線に次いで日本で2番目、60Hzは日本初である。なお、民営化後に新快速など京阪神方面との直通運転のため1991(平成3)年9月に田村駅〜長浜駅間が直流電化に転換され、2006(平成18)年9月24日には長浜駅〜敦賀駅間が湖西線の永原駅〜近江塩津駅間とともに直流電化に転換された。

 2015(平成27)年春に北陸新幹線の長野駅〜金沢駅間が開業する際、金沢駅〜直江津駅間はJRの経営から分離されることになっており、同区間のうち金沢駅〜倶利伽羅駅間はIRいしかわ鉄道、倶利伽羅駅〜市振駅間はあいの風とやま鉄道、市振駅〜直江津駅間はえちごトキめき鉄道が運行することになっている。なお、北陸本線の富山駅と接続していた富山港線は、北陸新幹線建設に伴う富山駅周辺連続立体交差化事業の影響でJRと経営分離し、第三セクター鉄道の富山ライトレールとなったが、並行在来線の経営分離とは関係が無く、この会社が並行在来線の運行主体となる予定もない。



駅名・信号場名 駅間
営業
キロ
累計
営業
キロ
所在地 開業日
(漢字表記) (よみ)

米原駅 まいばら - 0.0

米原市 1889(明治22)年7月1日
坂田駅 さかた 2.4 2.4 1931(昭和6)年9月15日
田村駅 たむら 2.3 4.7 長浜市 1931(昭和6)年10月14日
長浜駅 ながはま 3.0 7.7 1882(明治15)年3月10日
虎姫駅 とらひめ 5.1 12.8 1902(明治35)年6月1日
河毛駅 かわけ 2.8 15.6 1954(昭和29)年8月1日
高月駅 たかつき 2.6 18.2 1882(明治15)年3月10日
木ノ本駅 きのもと 4.2 22.4 1882(明治15)年3月10日
余呉駅 よご 4.1 26.5 1957(昭和32)年10月1日
近江塩津駅 おうみしおつ 4.9 31.4 1957(昭和32)年10月1日
新疋田駅 しんひきだ 7.8 39.2

敦賀市 1957(昭和32)年10月1日
敦賀駅 つるが 6.7 45.9 1882(明治15)年3月10日

南今庄駅 みなみいまじょう 16.6 62.5 南条郡
南越前町
1957(昭和32)年6月10日
今庄駅 いまじょう 2.6 65.1 1896(明治29)年7月15日
湯尾駅 ゆのお 3.6 68.7 1948(昭和23)年9月1日
南条駅 なんじょう 3.5 72.2 1896(明治29)年7月15日
王子保駅 おうしお 4.5 76.7 越前市 1927(昭和2)年12月20日
武生駅 たけふ 4.3 81.0 1896(明治29)年7月15日
鯖江駅 さばえ 5.2 86.2 鯖江市 1896(明治29)年7月15日
北鯖江駅 きたさばえ 3.2 89.4 1955(昭和30)年5月1日
大土呂駅 おおどろ 4.7 94.1 福井市 1896(明治29)年7月15日
越前花堂駅 えちぜんはなんどう 3.2 97.3 1960(昭和35)年12月15日
(貨)南福井駅 みなみふくい 0.8 98.1 1952(昭和27)年12月1日
福井駅 ふくい 1.8 99.9 1896(明治29)年7月15日
森田駅 もりた 5.9 105.8 1897(明治30)年9月20日
春江駅 はるえ 2.3 108.1 坂井市 1926(大正15)年5月1日
丸岡駅 まるおか 3.8 111.9 1897(明治30)年9月20日
芦原温泉駅 あわらおんせん 5.7 117.6 あわら市 1897(明治30)年9月20日
細呂木駅 ほそろぎ 3.8 121.4 1897(明治30)年9月20日
牛ノ谷駅 うしのや 3.1 124.5 1921(大正10)年4月15日
大聖寺駅 だいしょうじ 5.7 130.2

加賀市 1897(明治30)年9月20日
加賀温泉駅 かがおんせん 4.1 134.3 1944(昭和19)年10月11日
動橋駅 いぶりはし 3.2 137.5 1897(明治30)年9月20日
粟津駅 あわづ 4.9 142.4 小松市 1907(明治40)年11月16日
小松駅 こまつ 5.8 148.2 1897(明治30)年9月20日
明峰駅 めいほう 2.8 151.0 1988(昭和63)年10月1日
寺井駅 てらい 3.0 154.0 能美市 1912(大正元)年12月20日
小舞子駅 こまいこ 3.0 157.0 白山市 1903(明治36)年6月20日
美川駅 みかわ 1.8 158.8 1898(明治31)年4月1日
加賀笠間駅 かがかさま 4.0 162.8 1923(大正12)年8月1日
松任駅 まっとう 4.4 167.2 1898(明治31)年4月1日
野々市駅 ののいち 3.3 170.5 野々市市 1968(昭和43)年3月25日
西金沢駅 にしかなざわ 2.4 172.9 金沢市 1912(大正元)年8月1日
金沢駅 かなざわ 3.7 176.6 1898(明治31)年4月1日
(貨)金沢貨物ターミナル駅 かなざわかもつターミナル 2.6 179.2 2003(平成15)年6月12日
東金沢駅 ひがしかなざわ 1933(昭和8)年8月1日
森本駅 もりもと 2.8 182.0 1911(明治44)年11月1日
津幡駅 つばた 6.1 188.1 河北郡
津幡町
1898(明治31)年11月1日
倶利伽羅駅 くりから 6.3 194.4 1909(明治42)年6月15日
石動駅 いするぎ 6.8 201.2

小矢部市 1898(明治31)年11月1日
福岡駅 ふくおか 7.2 208.4 高岡市 1898(明治31)年11月1日
西高岡駅 にしたかおか 3.5 211.9 1957(昭和32)年4月25日
高岡駅 たかおか 5.3 217.2 1898(明治31)年1月2日
※城端線の駅として
越中大門駅 えっちゅうだいもん 3.7 220.9 射水市 1923(大正12)年10月15日
小杉駅 こすぎ 3.7 224.6 1899(明治32)年3月20日
呉羽駅 くれは 6.6 231.2 富山市 1908(明治41)年11月3日
富山駅 とやま 4.8 236.0 1899(明治32)年3月20日
(貨)富山貨物駅 とやまかもつ 2.8 238.8 1987(昭和62)年3月31日
東富山駅 ひがしとやま 3.8 242.6 1908(明治41)年11月16日
水橋駅 みずはし 4.9 247.5 1908(明治41)年11月16日
滑川駅 なめりかわ 5.5 253.0 滑川市 1908(明治41)年11月16日
東滑川駅 ひがしなめりかわ 3.5 256.5 1964(昭和39)年11月20日
魚津駅
※魚津オフレールステーション
うおづ 5.0 261.5 魚津市 1908(明治41)年11月16日
黒部駅 くろべ 6.3 267.8 黒部市 1910(明治43)年4月16日
生地駅 いくじ 4.0 271.8 1910(明治43)年4月16日
西入善駅 にしにゅうぜん 4.2 276.0 下新川郡
入善町
1960(昭和35)年7月1日
入善駅 にゅうぜん 3.9 279.9 1910(明治43)年4月16日
泊駅 とまり 5.2 285.1 下新川郡
朝日町
1910(明治43)年4月16日
越中宮崎駅 えっちゅうみやざき 4.7 289.8 1957(昭和32)年11月20日
市振駅 いちぶり 4.7 294.5

糸魚川市 1912(明治45)年10月15日
親不知駅 おやしらず 8.6 303.1 1912(明治45)年10月15日
青海駅
※青海オフレールステイション
おうみ 5.3 308.4 1912(明治45)年10月15日
糸魚川駅 いといがわ 6.6 315.0 1912(明治45)年12月16日

梶屋敷駅 かじやしき 4.3 319.3 1912(明治45)年12月16日
浦本駅 うらもと 3.5 322.8 1950(昭和25)年1月28日
能生駅 のう 5.1 327.9 1912(明治45)年12月16日
筒石駅 つついし 7.5 335.4 1912(明治45)年12月16日
名立駅 なだち 4.2 339.6 上越市 1911(明治44)年7月1日
有間川駅 ありまがわ 4.2 343.8 1947(昭和22)年7月1日
谷浜駅 たにはま 3.4 347.2 1911(明治44)年7月1日
直江津駅 なおえつ 6.6 353.8 1886(明治19)年8月15日

年表
全通前
1882(明治15)年3月10日 長浜駅〜柳ヶ瀬駅間(15M5C50L≒24.25km)、洞道口駅〜金ヶ崎駅間(8M76C16L≒14.4km)が開業。柳ヶ瀬駅〜洞道口駅間は徒歩連絡。長浜駅・大寺駅・河毛駅(初代)・高月駅・木ノ本駅・中ノ郷駅・柳ヶ瀬駅・洞道口駅(後の洞道西口駅)・刀根駅(初代)・麻生口駅・疋田駅・敦賀駅・金ヶ崎駅(現在の敦賀港駅)が開業。
1883(明治16)年10月21日 洞道口駅が洞道西口駅に改称。
1884(明治17)年4月16日 柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬〜洞道西口間(2M29C54L≒3.81km)が延伸開業。洞道西口駅・麻生口駅が廃止。
1885(明治18)年3月16日 高月駅〜木ノ本駅間に井ノ口駅が開業。刀根駅(初代)が廃止。
1886(明治19)年5月1日 大寺駅・河毛駅(初代)が廃止。
1889(明治22)年7月1日 米原駅〜長浜駅間(4M50C≒7.44km)が延伸開業。
1889(明治22)年7月6日 マイル・チェーン・リンク表記からマイル・チェーン表記に簡略化(米原駅〜金ヶ崎駅間 31M1C21L→31M1C)。
1895(明治28)年4月1日 線路名称制定により、米原駅〜敦賀駅〜金ヶ崎駅間を東海道線とする。
1896(明治29)年7月15日 北陸線 敦賀駅〜福井駅間(38M40C≒61.96km)が開業。杉津駅・今庄駅・鯖波駅(現在の南条駅)・武生駅・鯖江駅・大土呂駅・福井駅が開業。
1897(明治30)年9月20日 福井駅〜小松駅間(30M3C≒48.34km)延伸開業。森田駅・新庄駅(現在の丸岡駅)・金津駅(現在の芦原温泉駅)・細呂木駅・大聖寺駅・動橋駅・小松駅が開業。敦賀〜金ヶ崎間の旅客営業廃止。金ヶ崎駅が金ヶ崎貨物取扱所に変更。井ノ口駅が廃止。
1898(明治31)年4月1日 小松駅〜金沢駅間(17M48C≒28.32km)が延伸開業。美川駅・松任駅・金沢駅が開業。
1898(明治31)年11月1日 金沢駅〜高岡駅間(25M29C≒40.82km)が延伸開業。津幡駅・石動駅・福岡駅が開業(高岡駅は中越鉄道の駅として既に同年1月21日に開業)。
1899(明治32)年3月20日 高岡駅〜富山駅間(11M5C≒17.8km)が延伸開業。小杉駅・富山駅が開業。
1902(明治35)年2月15日 新庄駅が丸岡駅に改称。
1902(明治35)年6月1日 虎姫駅が開業。
1902(明治35)年11月1日 米原駅〜敦賀駅〜金ヶ崎駅間が北陸線に編入される。全線で改マイル(米原駅〜富山駅間 +19C≒0.38km、敦賀駅〜金ヶ崎駅間 +27C≒0.54km)。
1902(明治35)年11月12日 マイル・チェーン表記からマイル表記に簡略化(米原駅〜富山駅間 153M7C→153.1M、敦賀駅〜金ヶ崎駅間 1M5C→1.1M)。
1903(明治36)年1月1日 長浜駅舎移転。旧駅舎は現在の長浜鉄道記念館である。
1903(明治36)年6月20日 小舞子仮停車場が開業。
1907(明治40)年11月16日 粟津駅が開業。
1908(明治41)年2月16日 津幡駅〜石動駅間に倶利伽羅信号所が開設。
1908(明治41)年3月21日 杉津駅〜今庄駅間に大桐信号所が開設。
1908(明治41)年3月25日 金ヶ崎貨物取扱所を金ヶ崎駅に変更(貨物のみの取り扱いは変更なし)。
1908(明治41)年4月21日 敦賀駅〜杉津駅間に東郷信号所が開設。
1908(明治41)年6月1日 大桐信号所が大桐駅として開業。
1908(明治41)年11月3日 呉羽駅が開業。
1908(明治41)年11月16日 呉羽駅〜富山駅間の経路が変更され、富山駅が移転(+0.4M≒0.64km)。富山線 富山駅〜魚津駅間(15.8M≒25.43km)が開業。東岩瀬駅(現在の東富山駅)・水橋駅・滑川駅・魚津駅が開業。
1909(明治42)年6月1日 敦賀駅が移転し、米原方面〜福井方面スイッチバック運転を解消(代りに米原方面〜金ヶ崎駅がスイッチバックとなる)。
1909(明治42)年6月15日 倶利伽羅信号所が倶利伽羅駅として開業。
1909(明治42)年10月12日 国有鉄道線路名称制定により、米原駅〜魚津駅間、敦賀駅〜金ヶ崎駅間を北陸本線とする。
1910(明治43)年4月16日 魚津駅〜泊駅間(14.7M≒23.66km)が延伸開業。三日市駅(現在の黒部駅)・生地駅・入善駅・泊駅が開業。
1911(明治44)年7月1日 信越線 直江津駅〜名立駅間(9.2M≒14.81km)が開業。郷津駅・谷浜駅・名立駅が開業。
1911(明治44)年11月1日 森本駅が開業。
1912(明治45)年3月2日 敦賀駅構内の線路を付け替え米原方面から金ヶ崎へのスイッチバックを解消。
1912(明治45)年8月1日 野々市駅(初代、現在の西金沢駅)が開業。
1912(明治45)年10月15日 泊駅〜青海駅間(14.5M≒23.34km)が延伸開業。市振駅・親不知駅・青海駅が開業。
1912(明治45)年12月16日 信越線 名立駅〜糸魚川駅間(16.5M≒26.55km)が延伸開業。筒石駅・能生駅・梶屋敷駅・糸魚川駅が開業。
1912(明治45)年12月20日 寺井駅が開業。
全通以後
1913(大正2)年4月1日 青海駅〜糸魚川駅間(4.1M≒6.6km)が開業し米原駅〜直江津駅間が全通。新規開業区間と信越線糸魚川駅〜直江津駅間が北陸本線に編入。柳ヶ瀬駅〜疋田駅間に刀根信号所が開設。
1914(大正3)年12月14日 筒石駅付近で地すべりが発生。駅舎とホームが倒壊するとともに路盤が移動し、1日間不通となる。
1916(大正5)年11月1日 東郷信号所が新保駅として開業。
1916(大正5)年12月25日 刀根信号所が刀根駅(2代目)として開業。
1918(大正7)年11月15日 細呂木駅〜大聖寺駅間に熊坂信号所が開設。
1919(大正8)年1月11日 敦賀駅〜敦賀港駅間で旅客営業再開、改キロ(+0.4M≒0.64km)。金ヶ崎駅が敦賀港駅に改称。
1919(大正8)年11月25日 新保駅〜杉津駅間に葉原信号所が、杉津駅〜大桐駅間に山中信号所が開設。
1921(大正10)年4月15日 熊坂信号所が牛ノ谷駅として開業。
1922(大正11)年2月3日 親不知駅〜青海駅間で列車が雪崩に巻き込まれる列車脱線事故(北陸線列車雪崩直撃事故)が発生。死者88〜90名。
1922(大正11)年3月15日 柳ヶ瀬駅〜刀根駅間に雁ヶ谷信号所が開設。
1922(大正11)年4月1日 信号所を信号場に変更。
1923(大正12)年8月1日 加賀笠間駅が開業。
1923(大正12)年10月15日 越中大門駅が開業。
1925(大正14)年8月1日 金沢駅〜森本駅間に小坂信号場が、森本駅〜津幡駅間に花園信号場が開設。
1925(大正14)年10月1日 野々市駅が西金沢駅に改称。
1926(大正15)年5月1日 春江駅が開業。
1926(大正15)年7月3日 東岩瀬駅〜水橋駅間に浜黒崎仮停車場が開業。
1927(昭和2)年9月1日 呉羽駅〜富山駅間に田苅屋信号場が開設。飛越線(現在の高山本線)分岐点。
1927(昭和2)年12月20日 王子保駅が開業。
1929(昭和4)年8月10日 能生駅〜浦本駅間の3箇所で地すべりが発生。浜木浦では、列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆。10日間不通。
1930(昭和5)年4月1日 マイル表示からメートル表示に変更、一部営業キロ修正(米原駅〜直江津駅間 228.3M→366.5km、敦賀駅〜敦賀港駅間 1.5M→2.7km)。
1931(昭和6)年3月21日 浦本駅付近で貨物列車が地すべりに巻き込まれ脱線転覆。死者1名負傷者4名。
1931(昭和6)年9月15日 法性寺駅(現在の坂田駅)が開業。
1931(昭和6)年10月14日 田村駅が開業。
1932(昭和7)年9月20日 貨物支線 敦賀港駅〜敦賀新港駅間 (1.2km) が開業。貨物取扱駅として敦賀新港駅が開業。
1933(昭和8)年8月1日 小坂信号場が東金沢駅として開業。
1938(昭和13)年1月23日 能生駅〜浦本駅間の浜木浦で、列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆。10日間不通。
1938(昭和13)年6月1日 三国線直通ガソリンカー専用駅として丸岡駅〜金津駅間に越前下関駅が開業。
1938(昭和13)年10月1日 金沢駅〜津幡駅間が複線化。花園信号場が廃止。
1940(昭和15)年11月1日 法性寺駅・田村駅・越前下関駅が廃止。
1940(昭和15)年12月1日 福井操車場が開業。福井操車場〜福井駅間が複線化。
1943(昭和18)年4月1日 貨物支線 敦賀港駅〜敦賀新港駅間 (1.2km) が廃止(1986年10月31日まで敦賀港駅構内側線として存続)。
1943(昭和18)年4月10日 今庄駅〜鯖波駅間に湯ノ尾信号場が開設。
1943(昭和18)年10月1日 福井駅〜森田駅間に北福井信号場が、大聖寺駅〜動橋駅間に作見信号場が、滑川駅〜魚津駅間に早月信号場が開設。
1944(昭和19)年10月11日 敦賀駅〜新保駅間に深山信号場が開設。作見信号場が作見駅(現在の加賀温泉駅)として開業。
1945年3月 名立駅〜有間川駅間で地すべりが発生。列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆。死傷者5名。
第二次世界大戦後
1946(昭和21)年9月1日 名立駅〜谷浜駅間に有間川仮乗降場が開業。
1946(昭和21)年12月12日 筒石駅付近で地すべりが発生。駅構内の路盤が移動し、4日間不通となる。
1947(昭和22)年7月1日 有間川仮乗降場が有間川駅として開業。
1948(昭和23)年2月13日 田苅屋信号場が田刈屋信号場に改称。
1948(昭和23)年8月25日 福井駅〜森田駅間に九頭竜仮信号場が開設。
1948(昭和23)年8月30日 浜黒崎仮停車場が廃止。
1948(昭和23)年9月1日 湯ノ尾信号場が湯尾駅として開業。
1949(昭和24)年4月8日 九頭竜仮信号場が廃止。
1949(昭和24)年7月10日 北福井信号場が北福井仮乗降場として旅客営業開始。
1950(昭和25)年1月28日 浦本駅が開業。
1950(昭和25)年5月20日 東岩瀬駅が東富山駅に改称。
1951(昭和26)年9月1日 北福井仮乗降場が廃止。
1952(昭和27)年12月1日 福井操車場が南福井駅として開業(貨物取り扱いのみ)。
1954(昭和29)年8月1日 坂田駅が開業(法性寺駅の復活)。河毛駅(2代目)が開業。
1954(昭和29)年12月10日 田村駅が再開業。
1955(昭和30)年5月1日 北鯖江駅が開業。
1955(昭和30)年10月1日 富山操車場が開設。
1955(昭和30)年11月11日 倶利伽羅駅〜石動駅間に安楽寺信号場が開設。
1956(昭和31)年4月10日 三日市駅が黒部駅に改称。
1956(昭和31)年11月10日 富山駅〜富山操車場間が複線化。
1956(昭和31)年11月19日 福岡駅〜高岡駅間に西高岡信号場が開設。田刈屋信号場が廃止。
1957(昭和32)年4月25日 西高岡信号場が西高岡駅として開業。
1957(昭和32)年8月12日 田村駅〜長浜駅間が複線化。
1957(昭和32)年10月1日 木ノ本駅〜近江塩津駅〜敦賀駅間 (23.4km) が単線で開業。余呉駅・近江塩津駅・新疋田駅が開業。近江塩津駅〜新疋田駅間に沓掛信号場が、新疋田駅〜敦賀駅間に鳩原信号場が、牛ノ谷駅〜大聖寺駅間に熊坂信号場が、泊駅〜市振駅間に越中宮崎信号場が開設。木ノ本駅〜敦賀駅間の旧線 (26.1km) を柳ヶ瀬線として分離。田村駅〜近江塩津駅〜敦賀駅間が交流電化。米原駅〜田村駅間が複線化。 米原駅〜田村駅間は非電化のまま残され、蒸気機関車の牽引により交直接続を行った。機関車交換のため、田村駅は急行停車駅となる。 当初は倶利伽羅峠越え旧線に使用していたE10形が充てられたが、1962(昭和37)年春までに全車運用終了(2号機のみ青梅鉄道公園で保存)。以降は信越線に使用していたD50形が投入された。
1957(昭和32)年11月15日 市振駅〜親不知駅間に風波信号場が開設。
1957(昭和32)年11月20日 越中宮崎信号場が越中宮崎駅として開業。
1958(昭和33)年4月10日 貨物支線 東富山駅〜富山操車場〜蓮町駅間 (8.5km) が開業(東富山駅〜富山操車場間は本線との二重戸籍区間)。
1958(昭和33)年9月25日 高月駅〜木ノ本駅間が複線化。
1958(昭和33)年9月28日 長浜駅〜虎姫駅間が複線化。
1958(昭和33)年9月29日 小杉駅〜呉羽駅間が複線化。
1958(昭和33)年9月30日 虎姫駅〜高月駅間が複線化。
1959(昭和34)年3月31日 生地駅〜入善駅間に西入善信号場が開設。
1960(昭和35)年5月31日 呉羽駅〜富山駅間が複線化。
1960(昭和35)年7月1日 西入善信号場が西入善駅として開業。
1960(昭和35)年9月26日 松任駅〜西金沢駅間が複線化。
1960(昭和35)年9月28日 西金沢駅〜金沢駅間が複線化。
1960(昭和35)年9月30日 石動駅〜福岡駅間が複線化。
1961(昭和36)年9月28日 福井駅〜森田駅間が複線化。
1961(昭和36)年9月29日 魚津駅〜黒部駅間に片貝信号場、青海駅〜糸魚川駅間に姫川信号場が開設。
1962(昭和37)年2月19日 丸岡駅〜金津駅間が複線化。
1962(昭和37)年3月19日 今庄駅〜湯尾駅間が複線化。
1962(昭和37)年3月21日 今庄駅〜福井駅間が交流電化。
1962(昭和37)年5月10日 複線電化に先立ち、今庄機関区廃区式を挙行。
1962(昭和37)年6月2日 新線切り替えに先立ち、敦賀駅〜今庄駅間の旧線区間廃線式を挙行。
1962(昭和37)年6月9日 早朝上り216列車と下り225列車をもって、下り線線路付け替えのため敦賀駅〜杉津駅〜今庄駅間 (26.4km) が廃止。以降終日新線を暫定使用。運行は旧ダイヤに基づき、敦賀駅・余座踏切地点・南今庄地点・今庄駅で時間差調整された。深山信号場・新保駅・葉原信号場・杉津駅・山中信号場・大桐駅がこの日早朝限りで廃止。今庄機関区が廃区。 敦賀機関区・今庄機関区に在籍していた(小浜線用をのぞく)旧線用蒸気機関車は金沢機関区に移籍(一部は長野機関区移籍。DF50形およびDD50形ディーゼル機関車は富山機関区移籍。後にDD50形は米原機関区に移籍し、柳ヶ瀬線で3両編成旅客車牽引として使用の後、交・直流ジャンクションの中継機として使用された)。
1962(昭和37)年6月10日 北陸トンネル正式開通。敦賀駅・福井駅にて祝賀式典が執り行われる。敦賀駅〜今庄駅間が複線交流電化新線 (19.3km) 開業。南今庄駅が開業。 同時に福井駅〜金沢駅間の旅客列車はディーゼル機関車牽引となり福井駅が機関車付け替え駅となる。
1962(昭和37)年8月1日 安楽寺信号場〜石動駅間が複線化。
1962(昭和37)年8月10日 福岡駅〜西高岡駅間が複線化。
1962(昭和37)年9月15日 倶利伽羅駅〜安楽寺信号場間が複線化。安楽寺信号場が廃止。
1962(昭和37)年9月25日 津幡駅〜倶利伽羅駅間が複線化。
1962(昭和37)年9月27日 松梨信号場〜寺井駅間が複線化。小松駅〜寺井駅間に松梨信号場が開設。
1962(昭和37)年9月28日 能生駅〜筒石駅間に百川信号場が開設。
1962(昭和37)年9月29日 寺井駅〜小舞子駅間が複線化。入善駅〜泊駅間に小川信号場が開設。
1962(昭和37)年9月30日 熊坂信号場〜大聖寺駅間が複線化。
1962(昭和37)年12月10日 粟津駅〜小松駅間が複線化。
1962(昭和37)年12月28日 米原駅〜田村駅間が直流電化。田村駅の米原寄りにデッドセクションを設置。
1963(昭和38)年3月16日 能生駅〜筒石駅間で列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆。
1963(昭和38)年4月4日 福井駅〜金沢駅間が交流電化。
1963(昭和38)年4月15日 武生駅〜鯖江駅間が複線化。
1963(昭和38)年7月22日 牛ノ谷駅〜熊坂信号場間が複線化。熊坂信号場が廃止。
1963(昭和38)年9月1日 小舞子駅〜美川駅間が複線化。
1963(昭和38)年9月16日 王子保駅〜武生駅間が複線化。
1963(昭和38)年9月25日 鯖波駅〜王子保駅間が複線化。
1963(昭和38)年9月27日 小松駅〜松梨信号場間、高岡駅〜越中大門駅間が複線化。松梨信号場が廃止。
1963(昭和38)年9月30日 新設された衣掛隧道ループ線(鳩原ループ線)を上り線として使用開始に伴い、新疋田駅〜敦賀駅間が複線化。
1963(昭和38)年10月1日 本線下り線専用となるため柳ヶ瀬線の疋田駅〜敦賀駅間休止し、前日より代替バスに移行。鳩原信号場が廃止。
1963(昭和38)年10月20日 筒石駅〜名立駅間に西名立信号場が開設。
1964(昭和39)年4月10日 (仮)小舞子駅が正式な駅に昇格し小舞子駅が開業。
1964(昭和39)年5月11日 柳ヶ瀬線 木ノ本駅〜柳ヶ瀬駅〜疋田駅〜敦賀駅間 (26.1km) が廃止。
1964(昭和39)年8月24日 金沢駅〜富山操車場間が交流電化。
1964(昭和39)年9月22日 浦本駅〜能生駅間に木浦信号場が開設。
1964(昭和39)年9月24日 旧柳ヶ瀬線線路盤を本線上り線に転用し、木ノ本駅〜余呉駅間が複線化。
1964(昭和39)年9月26日 春江駅〜丸岡駅間が複線化。
1964(昭和39)年9月29日 西高岡駅〜千保川信号場間が複線化。西高岡駅〜高岡駅間に千保川信号場が開設。
1964(昭和39)年11月20日 早月信号場が東滑川駅として開業。
1965(昭和40)年4月23日 生地駅〜西入善駅間が複線化。
1965(昭和40)年5月27日 細呂木駅〜牛ノ谷駅間が複線化。
1965(昭和40)年7月5日 越中大門駅〜小杉駅間が複線化。
1965(昭和40)年7月20日 上市川信号場〜滑川駅間が複線化。水橋駅〜滑川駅間に上市川信号場が開設。
1965(昭和40)年7月30日 富山操車場〜東富山駅間が複線化。
1965(昭和40)年8月9日 近江塩津駅〜沓掛信号場間が複線化。
1965(昭和40)年8月20日 美川駅〜加賀笠間駅間が複線化。
1965(昭和40)年8月25日 千保川信号場〜高岡駅間が複線化。千保川信号場が廃止。富山操車場〜泊駅間が交流電化。
1965(昭和40)年8月31日 青海駅〜姫川信号場間が複線化。
1965(昭和40)年9月23日 余呉駅〜近江塩津駅間が複線化。
1965(昭和40)年9月25日 動橋駅〜粟津駅間が複線化。
1965(昭和40)年9月27日 金津駅〜細呂木駅間が複線化。
1965(昭和40)年9月30日 市振駅〜風波信号場、黒岩信号場〜青海駅間が複線化。泊駅〜糸魚川駅間が交流電化。
1965(昭和40)年12月10日 黒部駅〜生地駅間が複線化。
1966(昭和41)年3月11日 湯尾駅〜鯖波駅間が複線化。
1966(昭和41)年3月16日 森田駅〜春江駅間が複線化。
1966(昭和41)年3月18日 加賀笠駅間〜松任駅間が複線化。
1966(昭和41)年3月24日 風波信号場〜親不知駅間が複線化。風波信号場が廃止。
1966(昭和41)年6月1日 水橋駅〜上市川信号場間が複線化。上市川信号場が廃止。
1966(昭和41)年8月30日 東滑川駅〜角川信号場間が複線化。東滑川駅〜魚津駅間に角川信号場が開設。
1966(昭和41)年9月7日 鯖江駅〜北鯖江駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月13日 北鯖江駅〜大土呂駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月22日 大聖寺駅〜作見駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月24日 大土呂駅〜南福井駅間が複線化。
1966(昭和41)年9月29日 作見駅〜動橋駅間が複線化。
1966(昭和41)年11月25日 西入善駅〜入善駅間が複線化。
1966(昭和41)年11月30日 沓掛信号場〜新疋田駅間が複線化。沓掛信号場が廃止。
1966(昭和41)年12月3日 東富山駅〜水橋駅間が複線化。
1966(昭和41)年12月15日 親不知駅〜黒岩信号場間が複線化。黒岩信号場が廃止。
1967(昭和42)年5月19日 泊駅〜越中宮崎駅間が複線化。
1967(昭和42)年8月22日 滑川駅〜東滑川駅間が複線化。
1967(昭和42)年8月29日 小川信号場〜泊駅間が複線化。
1967(昭和42)年9月20日 入善駅〜小川信号場間が複線化。小川信号場が廃止。
1967(昭和42)年9月29日 越中宮崎駅〜市振駅間が複線化。
1968(昭和43)年3月25日 野々市駅(2代目)が開業。
1968(昭和43)年8月9日 魚津駅〜片貝信号場間が複線化。
1968(昭和43)年9月16日 姫川信号場〜糸魚川駅間が複線化。姫川信号場が廃止。
1968(昭和43)年9月25日 有間川駅〜谷浜駅間が複線化。
1968(昭和43)年9月27日 角川信号場〜魚津駅間が複線化。角川信号場が廃止。
1968(昭和43)年10月1日 越美北線の越前花堂駅に北陸本線ホームが開設。米原駅〜田村駅間のD50形運用終了。
1969(昭和44)年6月4日 糸魚川駅〜梶屋敷駅間が複線化。
1969(昭和44)年6月17日 片貝信号場〜黒部駅間が複線化。片貝信号場が廃止。
1969(昭和44)年6月19日 梶屋敷駅〜浦本駅間が複線化。
1969(昭和44)年9月16日 親不知駅付近で地すべりが発生。列車が地すべりに巻き込まれて脱線転覆。
1969(昭和44)年9月29日 浦本駅〜有間川駅間が頸城トンネル経由の新線に切り替えられ複線化。能生駅・筒石駅・名立駅が移転。木浦信号場・百川信号場・西名立信号場が廃止。
1969(昭和44)年10月1日 谷浜駅〜直江津駅間が新線に切り替えられ複線化。郷津駅が廃止。糸魚川駅〜直江津駅間が直流電化され、全線の複線電化が完成。全線で営業キロ改定、計2.8km短縮。 余呉駅〜近江塩津駅間・新疋田駅〜敦賀駅間・武生駅〜鯖江駅間・大土呂駅〜越前花堂駅間・森田駅〜春江駅間・動橋駅〜粟津駅間・西金沢駅〜金沢間駅・高岡駅〜越中大門駅間・滑川駅〜東滑川駅間・生地駅〜西入善駅間で0.1kmずつ延長。 近江塩津駅〜新疋田駅間・南今庄駅〜今庄駅間・今庄駅〜湯尾駅間・鯖波駅〜王子保駅間・鯖江駅〜北鯖江駅間・福井駅〜森田駅間・春江駅〜丸岡駅間・作見駅〜動橋駅間・野々市駅〜西金沢駅間・倶利伽羅駅〜石動駅間・石動駅〜福岡駅間・越中大門駅〜小杉駅間・魚津駅〜黒部駅間・西入善駅〜入善駅間・越中宮崎駅〜市振駅間・青海駅〜糸魚川駅間で0.1kmずつ短縮。 寺井駅〜小舞子駅間で0.2km短縮。小舞子駅〜美川駅間・市振駅〜親不知駅間で0.2km延長。 浦本駅〜能生駅間で0.5km短縮、能生駅〜筒石駅間で1.1km延長、筒石駅〜名立駅間で2.4km短縮、名立駅〜有間川駅間で0.4km短縮、有間川駅〜谷浜駅間で0.1km延長、谷浜駅〜直江津駅間を0.3km短縮。浦本駅〜直江津駅間の新線切り替え区間は計2.4km短縮。
全線複線電化完成後
1970(昭和45)年10月1日 作見駅が加賀温泉駅に改称。大聖寺駅・動橋駅に振り分けていた特急・急行停車を同駅に統合。接続連絡していた北陸鉄道加南線全廃の引き金となる。
1972(昭和47)年3月15日 3月1日に三国線が廃止されたことにより、金津駅が芦原温泉駅に改称。
1972(昭和47)年11月6日 北陸トンネル内で急行「きたぐに」の食堂車から出火し、30名が死亡(北陸トンネル火災事故)。
1973(昭和48)年4月1日 鯖波駅が南条駅に改称。
1975(昭和50)年3月10日 大阪方面発着の特急・急行が一部のぞき湖西線経由となる。
1986(昭和61)年11月1日 貨物支線 東富山駅〜蓮町駅間 (8.5km) が廃止。
1987(昭和62)年3月31日 敦賀駅〜敦賀港駅間の旅客営業が廃止。富山操車場が駅に変更され富山操駅として開業。
1987(昭和62)年4月1日 国鉄分割民営化により、米原駅〜直江津駅間 (353.9km) を西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が米原駅〜直江津駅間の第二種鉄道事業者、敦賀駅〜敦賀港駅間 (2.7km) の第一種鉄道事業者となる。
1988(昭和63)年10月1日 明峰駅が開業。
1990(平成2)年3月10日 富山操駅が富山貨物駅に改称。
1990(平成2)年6月5日 金沢駅付近が高架化。
1991(平成3)年9月14日 田村駅〜長浜駅間が交流電化から直流電化に変更。デッドセクションが坂田駅〜田村駅間から長浜駅〜虎姫駅間に変更。坂田駅が米原駅寄りに0.2km移転。湖西線との直通列車がすべて電車化され、近江今津駅〜敦賀駅間の所要時分が長浜駅・永原駅以北直流化後の新快速並みとした。
1995(平成7)年10月1日 近江塩津駅(構内のぞく)〜大聖寺駅(構内のぞく)間が金沢支社から福井地域鉄道部の直轄に、石動駅〜市振駅(構内のぞく)間が金沢支社から北陸地域鉄道部の直轄に、市振駅〜直江津駅(構内のぞく)間が金沢支社から糸魚川地域鉄道部の直轄になる。
2000(平成12)年2月8日 近江塩津駅〜直江津駅間に列車集中制御装置 (CTC) が導入される。
2002(平成14)年10月21日 金沢駅〜森本駅間の旅客線が、並行する貨物線を転用して移設 (-0.1km)。あわせて東金沢駅が移設。
2002(平成14)年11月18日 小松駅付近が高架化。
2003(平成15)年6月12日 JR貨物の金沢駅が金沢貨物ターミナル駅に改称。
2005(平成17)年4月18日 福井駅付近が高架化。
2006(平成18)年9月24日 長浜駅〜敦賀駅間が交流電化から直流電化に変更。デッドセクションが北陸トンネル敦賀口付近に変更。
2006(平成18)年10月21日 ダイヤ改正により、新快速の敦賀駅乗り入れが開始。
2009(平成21)年4月1日 敦賀駅〜敦賀港駅間の貨物列車の設定が廃止。
2009(平成21)年6月1日 組織改正により、石動駅〜市振駅(構内のぞく)間が北陸地域鉄道部から富山地域鉄道部の管轄に、近江塩津駅(構内のぞく)〜南今庄駅(構内のぞく)間が敦賀地域鉄道部の管轄に、南今庄駅〜大聖寺駅(構内のぞく)間が福井地域鉄道部の管轄になる。
2011(平成23)年1月31日 北陸地方での前日からの大規模な大雪の影響で、除雪作業のため長浜駅〜直江津駅間の全列車が終日運休。今庄駅などで特急が最大7本立ち往生した。全区間の運休は前例が無く、民営化以来の終日運休は初。
2011(平成23)年4月2日〜4月7日 東日本大震災で福島県内の車両部品工場が被災し保守部品調達の見通しが立たなくなったため、日中の金沢駅〜直江津駅間(七尾線直通列車含む)において、普通列車の本数や車両数の削減や行先変更が実施される。また、北陸本線内のみの気動車列車が運転される(富山駅〜黒部駅間)。
2012(平成24)年9月25日 米原駅〜長浜駅間でATS-P(拠点P方式)の使用開始。
2013(平成25)年12月12日 北陸新幹線開業に伴う新幹線並行区間の金沢駅〜直江津駅間の廃止届が提出される。
wikipediaより参照
TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページ>JR北陸本線(滋賀県・福井県・石川県・富山県・新潟県)