旧東北本線
旧線区間(厨川〜滝沢〜渋民)

◆2011年3月27日(日)撮影
 この区間に東北本線が開通したのが1891(明治24)年9月1日で、開通当初は赤線で示されたところにあり、滝沢駅も現在とは違うところにあった。ちなみに滝沢駅開業は15年後の1906(明治39)年1月21日のことである。
 このルートは地図を見ると最短ルートであるが、実際は上下高低差の激しい区間で輸送上の大きな障害だったようである。そのため、1967(昭和42)年に東北本線の輸送力増加を目的とし、全線複線化および線路改良工事が各所で行われ、このルートも1967(昭和42)年9月29日に滝沢〜渋民間、1968(昭和43)年4月25日に厨川〜滝沢間が複線化され、遠回りだが上下高低差の少ないルートに変更、滝沢駅もこれにあわせて移転した。

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(川又)(昭和23)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(鷹高)(平成18)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
↓@長根信号所跡

上の旧版地図では場所を確認できませんが、営業キロを見てみるとどうやらこの付近であったようです。
信号所廃止後はしばらく資材置き場になっていたが、東北新幹線建設用地とスーパー用地となり、現在では信号所の痕跡は残っていません。

1944(昭和19)10月11日に設置され、1968年(昭和43年)4月25日に厨川〜滝沢間の複線化に伴い廃止されました。

写真左の白壁は東北新幹線。だいぶ広い敷地であることがわかります。
↓A旧線と新線の分岐地点(上り盛岡側))

下り線から手前が旧線跡。ちなみに、上部には上り線があるが、これは複線化によって新たに敷設されたもので、開業当時の路線ではありません。

分岐地点から下り方向を撮影。写真中央部の建物敷地が旧線跡。

下り(北)方向。この道路が旧線跡。
↓B

旧線跡の道路をひたすら北上。

緩やかな上り勾配が続く。
↓C

この先は私道になっています。
↓D

ここで道路は行き止まりとなっていますが、旧線跡はこの先を進みます。ちなみに写真左側の建物が旧線跡。
↓E岩手大学演習林敷地

この先は岩手大学演習林敷地となっていて先に進むことが出来ませんでした。

旧線は写真中央部の道路ではなく、左側の木材が置かれているところにあったそうです。
↓F岩手大学演習林敷地内区間
知人のつてを頼って、構内入場許可をもらいましたので、旧滝沢駅に向かって探索を行いました。

このように切り通しが綺麗に残っていました。まだ4月なので草にも邪魔されずに歩くことが出来ました。

鉄道遺構(1)

この区間の中間地点付近で切り通しが埋められ、写真左から右へ道路が作られていました。写真の左から右へ送電線が通っていたので、その作業用道路として作られたものと思われますが、とても残念です。

鉄道遺構(2)

この区間の終わり頃になると切り通しが急に広くなりました。どうやら旧滝沢駅が近いようです。

鉄道遺構(3)

鉄道遺構(3)のひとつを撮影。鉄の部分が切断され、土台のコンクリートだけが放置されたようです。

民家が見え、この区間もここで終了。ここはちょうど旧滝沢駅の南端に当たります。
↓G旧滝沢駅南端

旧版地図を見ると、このあたりが旧滝沢駅南端。
よく見るとそれらしい石垣と、広めの敷地が認められ、駅の敷地だったろうと思われます。この規模から、交換設備を有したそれなりに大きな駅だったことがわかります。

写真左側の石垣は、廃線後に建築されたと思われます。

写真右側は、おそらく廃線後に盛り土をして建設された建物。

旧滝沢駅からの眺め、旧駅は高台にあったことがわかります。

この高台から、現在の滝沢駅が見ることが出来ます。「ローソン」の看板当たりが現在の駅の建物。
↓H旧滝沢駅駅舎付近

右上から左下にかけての道路が旧線跡で、それに沿ってに駅舎があったものと思われます。
旧駅構内は宅地造成が進んで、その痕跡を見つけることが出来ませんでした。

こちらが現在の滝沢駅で、旧駅跡より数百メートル離れた低いところにあります。

先ほどの十字路を旧線跡の道路にそってさらに北上(下り八戸方向)。

左写真の地点からさらに北(下り(八戸))方向に進んでみます。実際みてみると、高低差があって、これが鉄道運行上の障害になったようです。
↓I

途中で、陸橋があります。

よく見てみると、白いプレートのようなものがはめ込まれていました。

一般的に旧国鉄の建造物には、このような建築の西暦年と月が表記された白いプレートがはめ込まれているので、廃線探索をする上で貴重な手がかりとなります。ちなみにこの白いプレートにあるはずの表記は経年劣化のせいか消えていました。
↓J

雪で隠れていますが、この先に通路があります。

左写真の雪をかき分けると、ダート路が見えます。これが旧線跡で、現在では鉄道を維持管理する作業用道路として使用されています。

旧線の脇にはかなり古い石垣が見えます。

両脇の林は現在でも鉄道防風林になっています。
↓K旧線と新線の分岐地点(下り八戸側)

右をみると、新線が見えてきます。合流地点もあともう少しです。

右側の鉄道防風林がとぎれ、先に合流地点が見えてきます。

わだちにそって旧線の線路が敷設され、現在の新線に合流していきます。

まさにここが旧線と新線の合流地点です。

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