常磐炭鉱専用鉄道向田線
◆2023年1月29日(日)撮影
 向田線は湯本駅から西に分岐し、湯本町湯本字辰ノ口までの全長0.9kmの路線。
1918(大正7)年に本格的な採炭が始まった第5坑用の専用鉄道として敷設・運行を開始。なお、南側の第6坑ものちに採炭が開始される。
 1962(昭和37)年には今までの第5坑、第6坑用の専用鉄道であったが、常磐炭鉱株式会社は経営合理化策の一環として、「坑口の集約化」を推進することとなった。
 これまで専用鉄道小野田線を通して運搬されていた磐崎坑の石炭を「地下坑道」を通じて第5坑敷地内の「西部斜坑石炭積出坑口」に揚炭し、向田線で輸送する事になったのである。
 一方、向田線を利用していた第5、第6坑の石炭は「地下坑道」により更に東部の「鹿島坑」に揚炭され、専用鉄道鹿島坑線により輸送された。
 第5、第6坑自体は1971(昭和46)年に閉山されたが、磐崎坑はそれ以降も採炭を続け、揚炭された石炭は向田線で運ばれた。
1976(昭和51)年、磐崎坑も閉山となり、それと共に向田線も同年9月に廃止になった。

(以下、いわき市HPより一部改変して引用)
付近を流れる湯本川は、上流部で、磐城炭礦(株)や小野田炭礦が1883(明治16)年から稼働を開始し、炭鉱周辺の山林伐採、炭滓(たんかす)の河川流入のため河床が上がり、水害被害が頻発するようになりました。
その水害対策のため、第5、第6坑跡地に調整池を設置する計画が立ち上がった。炭鉱閉山後、区域の北側には炭鉱住宅跡地を利用した集合住宅がありましたが、居住者の多くが移転したため、この区域も調節池になりました。
り、ため、2002(平成14)年度から5か年の「湯本川床上浸水対策特別緊急事業」として、調節池(面積3.7ha、貯留容量8万1,200m3)の建設を含む、下流側2.55km(常磐湯本町傾城〜常磐関船町宿内)の河川改修を施工。50年に1度の大雨に対応できる河川として、2008(平成20)年度末に完成しました。
(引用終了)

この工事のために遺構は、近年まで唯一残されていた煉瓦造りのカルパートが撤去されたので完全になくなっている。第5坑入口は立地点はいわき市石炭・化石館の北部に隣接しており、閉山に伴い1971(昭和46)年、坑口は閉鎖され、外側を見ることができるのみである。第6坑入口は、現在いわき市石炭・化石館敷地内にあって保存されている。

開設:1918(大正7)年5月13日
廃止:1976(昭和51)年9月15日

(参考サイト)
http://geo.d51498.com/sendaiairport/onoda/muka-1.htm
https://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1596620400712/index.html

(常磐炭について)
 常磐炭は、亜瀝青炭と褐炭が多く、北海道や九州の石炭と比べて品質はおちるいわゆる低品位炭であり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。地下水が多く、温泉も湧き出すため坑内は暑く過酷な環境で、1tの石炭を採掘するのに4t程度の地下水が湧き出すともいわれ(常磐炭鉱記録映画による)当時世界最大級の排水ポンプを並べるなど採炭コストも高かった。しかし、大工業地帯である京浜地区に近いことから戦前より需要が高く大鉱業地帯として発達した。
 しかし、第二次世界大戦後の1960年代のいわゆる特にエネルギー革命と高度経済成長が起こると慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われた。更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年(昭和51)年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985(昭和60)年に撤退した。
Wikipediaより)

「国土地理院の電子地形図25000を掲載(2023年)」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

「この地図は、国土地理院発行の5万分の1地形図(平)(昭和32年発行)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

上記地形図には日渡線と向田線の記載が無い。短距離の炭鉱専用路線だったためと推定される。そこで、1946(昭和21)年10月10日米軍撮影の空中写真を見てみるとはっきりと路線が確認される。
(USA-M283-A-10-4)を引用。
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
@湯本駅東側

右側が常磐線駅ホーム。左側は現在、駐車場になっていますが、かつての路線跡と石炭の積込施設があったと思われます。

この先路線跡が続きます。
A踏切跡

左右に伸びているのが国道7号線で、踏切がここにありました。左奥には、いわき市石炭・ 化石館ほるるがあり、路線跡はこの敷地内を通っています。

右側の敷地が路線跡で、左側の国道を横切っていました。

手前が廃線後に敷設された道路で、左右に伸びてるのが国道7号線。
B橋台跡

2005年頃までは、本線唯一の遺構であるレンガ製の橋台がありましたが、その後の河川改修工事によって撤去されてしまいました。

路線跡にあるいわき市石炭・ 化石館ほるる。
奥に見える赤い櫓は常磐炭鉱西部鉱竪坑櫓。

敷地内には、常磐線で活躍した蒸気機関車が展示されています。
C常磐炭鉱西部斜坑連絡坑跡

訪問時は閉館したので近くまで行けませんでした。

望遠撮影。路線は連絡坑跡の手前を左右に通っていたと言います。
D終点

現在は調整池となり、痕跡は全く残されていません
かつては、北側(写真奥)には炭鉱住宅があり、手前側には常磐炭鉱磐城鉱業所があり、路線は写真右側に伸びていました。

調整池についての現地案内板。

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