奥羽本線
旧線区間(陣場駅〜津軽湯の沢駅)

◆2012年4月30日(月)撮影
 秋田県と青森県の境には白神山地と奥羽山脈の急峻な山々がそびえ立ち、古来より難所として知られたが、この矢立峠は標高258mと低い位置にあったことから、街道が設置され、江戸時代には羽州街道と呼ばれ、現在は国道7号線が通る。ちなみに江戸時代には弘前藩側に碇ヶ関関所が設置され、東海道沿いに設置された関よりも厳重な取り締まりが行われていたと言われる。
 この区間に奥羽温泉が開通したのが1899(明治32)年6月1日の碇ヶ関駅〜白沢駅間開業によってである。25/1000(25‰)の急勾配と最小半径300mの急カーブに7つのトンネルなどが連続するという奥羽本線内の難所の一つとして知られた。蒸気機関車時代には峠越えのために蒸気機関車(補機)を増結して対応するため、大館機関区と弘前機関区が設置された。

輸送力増強と将来の電化をにらんだ複線化により1970(昭和45)年11月5日に完成・開通した全長は3,180mの矢立トンネルをはじめとした新線に切り替えられ、従来の路線は旧線として廃止された。

(廃墟データ)

(↑青森方面(下り))
第六平川橋梁跡
第一矢立隧道跡(全長125m)
第二矢立隧道・・・1935(昭和10)年開削により消滅
第三矢立隧道跡(全長51m)
第四矢立隧道跡(全長702m)
第五矢立隧道跡(全長146m)
第六矢立隧道跡(全長232m)
第七矢立隧道・・・1935(昭和10)年開削により消滅
大湯沢川橋梁跡・・・(未確認)
第一下内川橋梁跡・・・2006(平成18)年12月下旬の国道バイパス完成で消滅
第二下内川橋梁
旧陣場駅跡
(↓大館方面(上り))

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(碇ヶ関)(昭和62)+白沢(昭和62)+陸中濁川(昭和62)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(白沢)(昭和62)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
旧陣場駅跡

現在の陣場駅に隣接する形で旧陣場駅があります。
旧駅廃止後は、架線敷設のための練習施設として使用されて、線路と架線が設置されていたが、近年は架線が撤去され廃止されたようである。

この遺構は、蒸気機関車時代に石炭を積み込むための貯炭槽の跡です。

現在は新線とは断線しています。

隣接する現在の陣場駅。
第二下内川橋梁

国道7号線に隣りあっていますので、すぐに発見できます。

状態は良いみたいです。
集落内の橋梁跡

集落内にある橋梁の跡。
陣場大橋

ここで、陣場大橋の下(橋の左側)を旧線が交叉しています。ちなみにこの陣場大橋が完成・供用開始が1966(昭和41)年なので、4年間のみこの橋の下を通っていたことになります。

拡大すると、橋の下に路盤があることがわかります。
陣場大橋付近の国道7号線

ここで国道7号線と並行しますが、国道拡張工事によって路盤が消失している区間があります。

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(白沢)(昭和62)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
矢立温泉にある第六矢立隧道跡(全長232m)
国道7号線より少し外れたところに矢立温泉があります。ちなみに矢立温泉へ通ずる道路はかつての国道です。

橋台跡。その右には第六矢立隧道があります。

温泉宿の隣に橋脚がそのままあります。

青森側(下り)。古代ローマの凱旋門を思い出させる重厚な石造り。
第五矢立隧道跡(全長146m)

大館側(上り)。中はどうやら倉庫として使用されているようです。
第四矢立隧道跡(全長702m)
この隧道群の中では一番長い隧道です。

青森側(下り)。そばには水をくみ上げるポンプ施設があって稼働していましたので、この隧道から湧き水が絶えず発生しているようです。

明治期によく見られる石積みの隧道です。

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(碇ヶ関)(昭和62)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
第三矢立隧道跡(全長51m)

大館側(南側)の路盤跡には民家が建っていましたので、入口まで立ち入り出来ませんでした。

青森側(北側)は高い位置にあり、ちょっとした崖を登る必要がありますので、少々難儀しました。
相乗(あいのり)温泉
かつてはウォータースライダーなどのレジャー施設を有する大規模な温泉ホテルとして知られていたが、1998(平成10)年に倒産して一時閉館。2004(平成16)年には老人健康施設と併設する温泉旅館が開業して再利用されています。

「この地図は、国土地理院発行の2.5万分の1地形図(碇ヶ関)(昭和62)を使用したものである。」
国土地理院発行地形図の引用について
http://www.gsi.go.jp/LAW/2930-meizi.html
第一矢立隧道跡(全長125m)
大館側の路盤跡にはペンション風の民家が廃屋群となって連なっています。
第六平川橋梁跡

第六平川橋梁の橋台を土台に利用して造られた建物。

橋梁に隣接して国道をまたぐ跨道橋は国道の改良工事に造られたもので、1965(昭和40)年竣工のもの。ということは、5年間しか列車がこの上を走らなかったことになります。
旧津軽湯の沢駅跡
現在は民家が建ち並び、これといった駅の遺構は見つかりませんでした。
現在の津軽湯の沢駅

左右にある高台は路盤跡で、新駅の連絡道路を造るときに切り崩されたようです。

旧駅から南に400mに移動した新駅。
旧線と新線の合流地点

津軽湯の沢駅から下り(青森方向)に行くと、旧線(わだち部分)が新線と合流。

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