仙北鉄道登米線(暫定版)

◆2022年3月21日(月)、2023年3月12日(日)撮影
 仙北鉄道(せんぽくてつどう)は、かつて宮城県栗原郡瀬峰町(現・栗原市)の瀬峰駅と同県登米郡登米町(現・登米市)の登米駅、瀬峰駅と栗原郡築館町(現・栗原市)の築館駅を結んでいた、2つの路線からなる軽便鉄道である。1968(昭和43)年に全線が廃止された。

 栗原郡の中心である築館町および登米郡の中心である佐沼町(現・登米市)と近郊都邑を、東北本線と連絡して米などの農産物輸送および旅客輸送を図る目的で、1921(大正10)年に開業した。

 当初蒸気動力であり、1930年頃に軌間の762mmから1067mmへの改軌と電化なども検討されたが実現せず、気動車(ガソリンカー)の導入を経て戦後はディーゼル動力化され、最後まで非電化であった。

 戦時中には、宮城県東北部における交通統合の主体となる。これにより広大な営業エリアのバス事業者となった。後に、塩釜交通、古川交通、仙台鉄道の3社を系列に収めている。3社は合併し宮城バス(初代)となった。

 鉄道末期の1964(昭和39)年には、その宮城バス(初代)を吸収合併し、宮城バス(2代)に改名、同時に本社を瀬峰町から仙台市に移転する。瀬峰町には鉄道管理所が設置されて、鉄道線名については「宮城バス仙北鉄道線」と称した。この名称から仙北鉄道が宮城バスに吸収されたように見えるが、誤りである。

 当時の仙北鉄道は宮城県最大のバス路線網を持つ会社に発展していたものの、鉄道の経営状態はピークを過ぎていたため、将来バス専業会社に移行することを見越しての合併であった。鉄道線廃止時点でも、その採算自体はまだ危機的状況にまでは至っていなかった。将来の設備更新費用等を勘案すればバス化する方が輸送力増強・合理化の面から得策とした、長期的経営判断によるものであった。

登米線

路線距離(営業キロ):28.6km
軌間:762mm
駅数:14駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:票券閉塞式

 なお、全線開業後の1924(大正13)年に米谷浅水駅(後の米谷駅)から、志津川にいたる路線を重役会において審議決定し、運輸局に申請したが、1925(大正14)年に不許可となり、路線延長はならなかった。

 廃止後、路盤の多くが宮城バスの専用道路となったが、維持費用の負担が重荷となり現在はすべて自治体に移管されている。代替バス路線は1970(昭和45)年に宮城交通登米線となり、国鉄民営化の数年後まで連絡運輸を行っていた。1995年には分離子会社の宮交登米バスとなったが、新田・佐沼〜仙台の高速バス(特急仙台〜佐沼線)開業による利用率減少で2005(平成17)年10月1日廃止、登米市民バス(ミヤコーバス受託)に引き継がれた。
Wikipediaより)
瀬峰駅
かつては仙北鉄道の路線も乗り入れており、駅・ホームはJR線ホームのすぐ東側に存在し、現在のJR線ホームの跨線橋から直接入ることが可能であった。しかし仙北鉄道の廃線に伴い同線側の跨線橋が撤去され、現在はその入口が壁となってふさがれている。その様子は瀬峰駅舎跡地の駐車場から見ることができる。
往時は、東北本線の駅と跨線橋でつながった島式の旅客ホーム1本と、東北本線との間に貨物上屋付きの貨物ホーム1本があった。また、構内には車庫を併設しており、DL庫(2線)、気動車庫(2線)ともう1棟(2線)の車庫や数棟の管理棟や倉庫が建っており、小型のターンテーブルなどもあった。築館線廃止後のバスも旅客ホームから発着しており、バスが走行する部分は尾小屋鉄道小松駅のようにレールの間を板敷きにしていた。現在の跡地は駐車場等に転用され、傍らに「仙北鉄道瀬峰駅跡」の碑が立つ。

駅西側にはJRの瀬峰駅駅舎があります。仙北鉄道は東側にありました。
(2010年11月22日()撮影)

跨線橋内。現在は塞がれていますが、はっきりとその痕跡を見ることが出来ません。
(2022年3月21日(月)撮影)

駅跡(1)
現在は駐車場として使用されています。
(2022年3月21日(月)撮影)

駅跡(2)
(2022年3月21日(月)撮影)

跨線橋。かつては仙北鉄道側に跨線橋が延びていました。
(2022年3月21日(月)撮影)

仙北鉄道瀬峰駅跡。駅舎は駐車スペースにあったものと思われます。
(2022年3月21日(月)撮影)

跨線橋から撮影。右側がJR駅、中央の駐車スペースが路線跡、奥が駅舎跡。
(2022年3月21日(月)撮影)
登米駅
登米は、駅本屋のあるホーム1本と短いホームのある機回し線、貨物側線や貨物上屋、倉庫数棟があったほか、車庫が併設されており、3線の車庫棟や小型のターンテーブルなどがあった。廃線後も、一部は道路拡張に伴って解体されたものの、駅本屋駅舎が残りミヤコーバス登米駐在所となって、仙北鉄道の資料等も展示されていた。しかし、老朽化のため2007(平成19)年12月17日より駅舎が解体され、跡地にツルハドラッグ宮城登米店が建てられた。開業時には本社や機関庫、客車庫もあったが、1924(大正13)年に瀬峰に移転している。一説には登米の水が機関車のボイラーに合わなかったためといわれている。

駅舎跡
(2023年3月12日(日)撮影)

写真左側に路線が延びていました。
(2023年3月12日(日)撮影)

隣接する登米市登米総合支所にある腕木信号機と車輪。
(2023年3月12日(日)撮影)

(2023年3月12日(日)撮影)

(2023年3月12日(日)撮影)

(2023年3月12日(日)撮影)

(2023年3月12日(日)撮影)

(2023年3月12日(日)撮影)

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