◆遠野市(岩手県)◆

 遠野市(とおのし)は、岩手県内陸部にある都市。
 柳田國男の『遠野物語』の舞台となった町であり、河童や座敷童子などが登場する「遠野民話」が伝わる。
 岩手県南東部の内陸に位置する。市のほぼ全域が、北上川の支流である猿ヶ石川の最上流域にあたり、中央部は北上山地最大の盆地である遠野盆地となっている。また、岩手県で2番目に高い山である早池峰山の一部も市域にある。
 総人口は24,384人(推計人口、2022年9月1日)。
Wikipediaより)
清心尼公の碑(2022年4月23日(土)撮影)
清心尼は南部家第19代直栄と南部信直の娘・千代の子で、第20代直政の夫人である。嗣子がなかったため、直政の没後第21代を継いだ。剃髪して清心尼と称し、新田家から直義(直栄)を養子に迎えた。遠野への移封後は、直義が盛岡を離れることが容易でなかったため、清心尼を中心に政治が行われたという。1644(正保元)年6月4日鍋倉山の横田城で死去し、光興寺の大慈寺に葬られる。その後大慈寺が現在の場所へ移り、清心尼の墓も改葬された。墓石はその際に現在の場所に残されたものとされる。
阿曽沼公の歴代の碑(2022年4月23日(土)撮影)
阿曽沼氏は藤原秀郷の流れを汲む氏族で、1189(文治5)年奥州征伐の功により阿曽沼広綱が遠野郷を安堵されて以来、1600(慶長5)年まで遠野を支配した。阿曽沼公歴代之碑は、1953(昭和28)年9月23日に日蓮宗開宗700年にあわせ阿曽沼家の子孫などによって建てられた。五輪塔はもと阿曽沼家の菩提寺であった養安寺にあったもので、養安寺に仮住まいしていた善明寺が現在地に移転する際、墓碑と思われる2基の五輪塔を移したが、1基が阿曽沼氏の墓として現在地に安置され、1基は善明寺に市指定文化財として保存されている。 
太郎淵(2022年4月23日(土)撮影)
『遠野物語』第55話に「川には河童多く住めり。猿が石川ことに多し」とあり、光興寺の淵に太郎という河童が住んでいて、洗濯など水仕事に来る女たちをのぞきに来ては悪さをして困らせたという。また、この下の淵にも太郎河童に言い寄る女河童が住んでいて、それぞれ太郎淵・女ヶ淵と言い、今でも2匹の河童が住むといわれている。
かつて猿ヶ石川は道路沿いを流れていたが、河川改修にあたり伝承に配慮して淵が残され公園として整備された。現在でも河童がひょっこりと現れそうなのどかな風景が広がる
とおの物語の館(2022年10月15日(土)撮影)
2013(平成25)年4月27日「とおの昔話村」が「とおの物語の館」としてリニューアルオープン。
デンデラ野(2022年4月23日(土)撮影)
デンデラ野とはいわゆる姥捨山のことで、日本各地にあったものですが、遠野は他とは少し違うようです。昔は60歳を過ぎると、ここに送られる習わしがありました。しかし、ここに送られたことは死を意味することでは無く、実際は昼間には麓の里に下りて農作業をして生計を立てていたと言います。
五百羅漢(2022年4月23日(土)撮影
五百羅漢は、遠野では度重なる飢饉により多数の餓死者は発生しました。1782(天明2)年から1788(天明8)年にかけて発生した天明の大飢饉は特に甚大でした。大慈寺の義山和尚が、多くの犠牲者を供養するために、自然の花崗岩に500体の羅漢像彫ったといいます。風化が進んでいますが今でも石に刻んだ像が見られます。
伝承園(2022年4月23日(土)撮影)
伝承園(でんしょうえん)は岩手県遠野市にある遠野市立の野外博物館。 柳田國男著「遠野物語」で有名になった遠野地方の民俗の伝承を目的として、1984年6月に開館した。指定管理者として社団法人遠野ふるさと公社が管理・運営している。

この印象的な部屋は、オシラ堂といわれるもので、祀られているオシラサマは娘と馬の恋物語で知られる神で、蚕の神、農業の神、馬の神そして「お知らせ」の神とも言われます。
ここにはおよそ1000体のオシラサマが祀られていて、願い事が書かれた布で包まれている。
常堅寺(じょうけんじ)(2022年4月23日(土)撮影)
常堅寺は岩手県遠野市にある曹洞宗の寺院。山号は蓮峰山。「カッパ狛犬」の寺として知られる。
室町時代の1490(延徳2)年4月、多聞秀守を開山として創建したとされる遠野郷十二ヶ寺の触頭。 カッパ淵に隣接しており、そこに住むカッパが常堅寺の火事を消して狛犬になったという伝説がある。
カッパ淵(2022年4月23日(土)撮影)
カッパ淵は、土淵町の常堅寺裏を流れる小川の淵にあり、カッパが多く住んでいて、人々を驚かし、いたずらをしたといわれています。
道の駅・遠野風の丘(2022年10月15日(土)撮影)

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