姉帯城(岩手県一戸町)

◆2021年7月10日(土)、2022年4月3日(日)撮影
姉帯城跡
一戸町指定史跡
指定年月日 平成5年5月1日
所在地 一戸町姉帯字川久保・舘
所有者:逢坂藤市郎・中村安七郎・中村日出男・中村茂一・中村正直・昆久右エ門

 姉帯城は中世南部氏の一族である姉帯氏の居館であったと言われています。姉帯氏は姉帯に五百石の他、飯岡に一千石(現盛岡市)の領地を持ち、九戸南部氏とのつながりが深かったため、戦国時代末期の南部家の領主をめぐる争いでは、九戸方の有力豪族として戦っています。
 天正19年(1591)、豊臣軍は九戸城攻略の前哨戦として姉帯城を攻撃しました。これに対し領主姉帯大学兼興(かねおき)・五郎兼信(かねのぶ)兄弟や大学の妻で長刀の名手小滝の前、棒術の名手である小屋野など、一族郎党が近隣の諸豪族とともに城に立てこもり応戦したものの、大半が討ち死にし落城してしまいました。
 城は馬渕川北側の50メートル以上もの断崖の上に築られた典型的な山城で、東西2つの郭から構成されています。西の郭は東西130メートル、南北60メートル、東の郭は東西120メートル、南北100メートルの規模で、東端には幅10メートルを越す堀が二重にめぐり、東の郭と西の郭の間にも幅20メートル以上の大きな堀があり、この堀にそって西の郭に高さ2.7メートルの土塁が残っています。
 平成8年度から3年間、一戸町教育委員会で学術調査をしたところ、特に西の郭で重複した建物跡や墓跡などが多数見つかりました。墓からは人骨や副葬された銅鏡・古銭、周辺からは鎧・槍先・刀・矢じりなどの武具が大量に出土しており、合戦の生々しさを伝えています。
 建物跡やその周辺からは、中国産や国産の陶磁器などの生活用具とともに、当時流行した茶の道具なども出土しており、豊かな戦国武将の生活の一端が明らかになっています。
(現地案内板より)

 姉帯氏の出自は諸説あり、三戸南部氏16代助政の子息が姉帯小次郎を名乗ったという説もあるが、(奥南旧指録)、通説では九戸の乱で有名な九戸政実の大叔父(祖父連康の弟)にあたる兼実が姉帯の地を領し、その地名から姉帯の氏を称し、姉帯蔵人を名乗ったという。そのため、九戸氏とは結びつきが強かった。

現地案内板

城跡全体図(現地案内板より)
南側に流れる馬淵川と50mの断崖を天然の掘として、川沿いに東西に伸びた舌状台地を2ヵ所の空掘で分割して、西の郭、東の郭とした天然の要害であることがわかる。

南側を流れる馬淵川。

小鳥谷集落から馬淵川に沿って葛巻町へ伸びる県道15号を1kmほど進むと侍村集落に城跡の入口があります。

所々に案内標識があるので城跡への道はわかりやすくなっています。

ここから右の道が姉帯城跡への道。

この先2,300mほど軽自動車がようやく通れるくらいの、すれ違い不可の細い道を進みます。万が一対向車に出会ったり落木や落石に遭遇した場合や車体に枝があたって傷になるのを気にされる方など、運転に不慣れな方はふもとで徒歩での移動に切り替えた方がいいかもしれません。

自動車はここまで。軽自動車くらいの大きさであれば2台おけそうな広さはあります。

さらにここからは舗装されたやや傾斜のある歩道を100mほど歩いて行きます。所々苔むした部分があり、さらに雨に降られて濡れていたので滑らないように慎重に進みました。

ようやく西の郭に到着します。

西の郭。綺麗に整備されています。

休憩所

休憩所の中には1996(平成8)年から3度行われた学術的な発掘調査に関する展示物などがあります。

掲示物の中に興味深いものがありました。いわゆる小林家古文書(写)です。以下に説明文を載せておきます。

平成11年4月、大館市在住の小林重治氏(当時83歳)が一戸町教育委員会を訪れました。その時小林家お土蔵からでてきた古文書を拝見させていただいたのですが、その内容は驚くべきものでした。天正19年(1591)年、九戸の戦で姉帯大学兼興、兼信兄弟他一族郎党が討ち死し、姉帯城は落城していますが、文書には兼信の子(当時2歳)が姉帯城落城の時、乳母に抱かれ金田一村(現二戸市)に逃げ、その後深山に隠れ成人し苗字を小林とし、慶長14年(1614)に秋田に移り住んだと記されていました。その日、小林さんは先祖の眠る地、姉帯城を訪れ感無量のご様子でした。

討ち死にした姉帯氏一族の供養塔。

西の郭の端にある神社。

祠と土塁

神社の祠背後には2.7mの土塁が残されています。さらに右側には西の郭と東の郭を区切る大規模な空堀があります。

西の郭と東の郭を区切る空堀。案内板によれば幅20m以上の大規模なもので、現在は堆積物でかなり埋まっていますが、現役当時はもっと深く幅のあったものと思われます。
東の郭と東端の二重堀については未整備の上、訪問当時は雨が降って地面が滑りやすかったので、無理をせずに次回挑戦することにしました。

雪解けも進んだので再挑戦。今回は登山用靴を装備しての空堀登山を行い、ようやく東の郭に到着。未整備なので予想通り木が茂る状況ですが、削平された状態で残されています。
(2022年4月3日(日)撮影)

東の郭の東端にある二重堀。相当な高低差でしたので降りての確認は出来ませんでした。
(2022年4月3日(日)撮影)

麓に降りての撮影。麓を流れるのは馬淵川で、写真左が西の郭、右が東の郭。
(2022年4月3日(日)撮影)

先ほど西の郭にあった休憩所が見えます。
(2022年4月3日(日)撮影)

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