二本松城(福島県二本松市)

2014年9月15日(月)撮影
前回は大雪で断念しましたが、今回は一周して本丸をはじめいろいろ見ることが出来ました。あちこち整備が進んでいるので見所がたくさんあり、結構な時間がかかりました。ただこの時期は、ヤブ蚊が多かったのであちこち刺され酷い目に遭いましたので対策は万全に(笑)。

駐車場から撮影した箕輪門。
1982(昭和57)年に再建されました。

箕輪門と二本松少年隊銅像(1)

箕輪門(1)

箕輪門と二本松少年隊銅像(2)
この銅像は平成8年に建立。

箕輪門(3)

箕輪門(4)

箕輪門(5)

箕輪門(6)

二の丸枡形虎口

山田脩 翁(おきな)像
1873(明治6)年に建設された日本初の民間製糸工場である「二本松製糸会社」創立に貢献した人物で、工場があった場所に建てられています。

霞ヶ池

七ッ滝

霞ヶ滝

霞ヶ池の上に建てられた洗心亭。城内に唯一残る江戸時代の建築物。

1976(昭和51)年に二本松市指定有形文化財に指定されています。

洗心亭から眺めた霞ヶ池

霞ヶ池に隣接する「るり池」。
丹羽氏二本松藩初代で二本松城を改修した光重公時代(1643年〜1679年)の造園の姿を残しています。

るり池に流れる布袋滝。

明治天皇行幸所二本松製糸会社阯碑と皇太后(貞明皇太后、大正天皇の皇后)陛下行啓記念碑。

霞ヶ城の傘松。樹齢は推定300年。

樹齢350〜400年のイロハカエデ

洗心滝

丹羽神社。歴代藩主丹羽家が祀られています。

空堀跡。あちこちに残されていました。

左から和尚山(標高1,601.7m)、安達太良山(標高1,669.6m)、鉄山(標高1,709.3m)、箕輪山(標高1,718.4m)の山々を望むことが出来ます。

あいにく天気が悪く全容を見ることが出来ませんでした。

煙硝倉。主に火薬の保管のために使われていた建物で、近年の発掘で花崗岩の礎石を並べた建物跡が3棟見つかっています。

麓から本丸跡を撮影。
現在の本丸は平成の復元作業によって修復されたもの。

松森館跡。現在発掘調査が行われています。

「二本松藩士自刃の地」
戊辰戦争で主戦論者であった家老・丹羽一学をはじめとする3名が責任をとり割腹をし、壮絶な最期を遂げたことが現地の案内板で記されています。

空堀・土塁跡

「日本三井戸」の一つ、「日影の井戸」。
千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」とならび、称されています。

新城館跡。戊辰戦争の直前まで少年武士がここで鉄砲の稽古を行い、戦いに出陣した隊員64名の二本松少年隊の顕彰碑が紀元2600年事業で1940年に建てられました。

搦手門跡(1)

搦手門跡(2)
門の礎石が残されていました。

本丸の石垣です。
平成5年から2年の歳月と5億3000万円をかけて全面修築復元工事が行われました。

本丸枡形虎口

天守台跡そばには戊辰戦争の二本松城落城の時に共に自尽した、丹羽和佐衛門(城代)・阿部井又之丞(勘定奉行)自刃の碑がありました。

本丸より東南東方面。二本松市街

本丸より西北西方向。安達太良山を仰ぎ見ることが出来ます。

天守台跡。

本丸より北東方面。右に見えるのは「城山運動施設区」。

本丸から東南東方面(二本松駅)を望遠撮影。中央左よりの建物は二本松市役所。

とっくり井戸。井戸口よりも底の方が広がっているところから名付けられました。

空堀跡

本坂御殿跡

鉄砲谷。出陣時に使われる鉄砲などをここにあった門に具備していたと言われています。

戒石銘。1935(昭和10)年国史跡に指定。5代藩主丹羽高寛(たかひろ)公が、藩儒学者の岩井田昨非(いわいださくひ)の進言により、藩士の戒めとするため、命じて刻ませたもので、1749(寛延2)年3月に完成しました。

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