五月館(岩手県一戸町)

◆2021年4月3日(土)撮影
 五月館は平糠川の西岸にあり、北東方向に突き出た丘陵の先端に築かれた山城で、東側は平糠川と断崖を利用した自然の濠とし、南側は丘陵を二重掘で分断、西側は奥州街道が通っています。主郭は最高所の南側に置かれたと推定され、城跡全体は北東に向かって三段の平地が設けられています。主郭には現在は使われていない水道施設「小鳥谷配水場」が建てられている。

 築城時期および城主は不明。延暦年間から弘仁年間(782年〜824年)の頃に蝦夷の酋長遠田公五月によって築かれたとの伝承があるが定かではない。

 1591(天正19)年に勃発した九戸の乱では、城主小鳥谷摂津守は九戸政実方として、近隣の姉帯城に籠もり豊臣方の軍勢と籠城戦を行った記録があるが、五月館についての記述はなく詳細は不明である。

 国道4号線小鳥谷バイパス建設に伴い、2001(平成13)年〜2002(平成14)年に発掘調査が行われている。

館全景

敷地の一部は水道施設「小鳥谷配水場」となっていますが、現在は使用されていないようで、関係者以外立入禁止の門は開いたままとなっています。

一番高い場所が主郭部分と想定されます。配水場建設のためどのくらい改変されているか不明です。

主郭部分

主郭南側に残されている二重堀で、この先続いている丘陵を分断するための堀切です。

主郭より一段低い部分は現在、農地になっているようです。

一段低い場所に曲輪状の平地が見えます。

ふもとの小鳥谷集落と奥州街道が見渡せます。

左が館へ通じる道で、右がかつての奥州街道。

ふもとにある八幡神社。城跡には清和源氏が崇拝していた八幡神社が建てられていることが多い気がします。

縄張想定図
(国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター発行「五月館跡・仁昌寺V遺跡発掘調査報告書」より)

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