仙台城(宮城県仙台市)

◆2010年11月23日(火)、12月23日(木)撮影
 仙台城は伊達氏が藩主を務める仙台藩62万石の居城である。現在の城は慶長年間に伊達政宗が築造したものであり、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。国の史跡に指定されている。

 政宗は関が原の合戦後、岩出山城から仙台城へ居城を移すことになり、1600(慶長5)年には徳川家康より築城の許可がおり、1601(慶長6)年より築城が始まった。伊達政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、幕府への遠慮からか天守台はあるが天守は持たなかった。しかし、同時代に比類ない堅城となった。しかし、2代藩主伊達忠宗以降は幕府に対して恭順姿勢をとったために仙台城の実戦性が薄れ、麓の二の丸、三の丸の充実が図られるようになる。

 江戸時代を通じ幾多の火災や地震に見舞われたにもかかわらずその都度再建された。戊辰戦争でも旧幕府側についたものの仙台が戦場になることはなかったため、たくさんの建物が明治維新まで残った。しかし、明治時代になると東北鎮台(後の第2師団)の宿営地となり、たくさんの建物や石垣は撤去され、兵舎建設に流用され、さらに太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月10日未明のアメリカ軍による仙台空襲により、米軍のB29により投下された焼夷弾により、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、衛兵所に使用中の二の丸表舞台楽屋などが全て焼失し、護国神社も焼失した。これにより、江戸時代から伝わる建物は三の丸の巽門(たつみもん)のみとなったが、これも戦後進駐してきたアメリカ軍によって撤去され、江戸期の建築物はすべて失われた。
 仙台城の敷地は戦後アメリカ軍に接収されたがのちに返還された。その後仙台城の敷地は、本丸が護国神社、二の丸は東北大学、三の丸が仙台市博物館の所有となった。

 1945(昭和20)年の仙台空襲で焼失した大手門(国宝指定)は、隅櫓のみが1967(昭和42)年に再建された。

●歴代城主
伊達氏(1601〜1872)

麓の大手門隅櫓からつづら坂を登ると本丸の石垣が見えます。

本丸の石垣。

本丸址は公園として整備されている。

本丸に鎮座する伊達政宗公騎馬像。ちなみにこれは戦後のもので、戦前のものは第二次世界大戦中の金属供出で肩から上を除いて失われ、現在は現在は仙台市博物館に展示されている。

本丸展望台からの眺め(1)
ここから仙台市が一望できます。

本丸展望台からの眺め(2)
左の拡大写真で、仙台駅方向を撮影。

本丸展望台からの眺め(3)
真ん中の建物は三越。

おまけ:本丸展望台からの眺め(4)
白い物体(?)は地元でも有名な仙台大観音(1991年竣工)。噂通り何とも不気味だ(笑)。

資料館に展示されている伊達政宗の花押

大手門と本丸の中間点にある中門(中の門、寅の門)跡。

1967(昭和42)年に再建された大手門隅櫓。

本丸にある明治時代創建の宮城県護国神社
清水門跡
酒蔵跡
三の丸巽門跡

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