志波城跡(岩手県盛岡市)

◆2011年4月28日(木)撮影
 803(延暦22)年に征夷大将軍坂上田村麻呂によって築城された城柵および官衙(役所)である。この城は、軍事上の拠点のみならず、周辺領地の経営の場でもあった。この頃は日本全国を律令国家である大和朝廷の統治下に治めるべく、蝦夷(えみし)との戦いの拠点として東北地方各地に「城柵」が設置され、この志波城はもっとも北に位置していた。
 しかし、後年暴れ川として知られる雫石川に近いことが災いして洪水が頻発。811(弘仁2)年に征夷大将軍文室綿麻呂によって南に10kmほど離れたところに徳丹城が建設され、主要な機能は移された。しかしその後もここには兵が配置され城は存在していたようであるが、廃城時期は不明である。

 現在この地は「志波城古代公園」として整備され、一部ではあるが塀や城門など当時の建築物が復元されている。

城跡の概略(現地案内板より)

外郭南門。志波城は堀と外郭と内郭の三重の 防御で守られた城でした。

外郭の周辺には堀が設けられ、外郭南門の手前に橋を設置して人の往来をさせていました。

堀。

外郭に設置された見張り台。

外郭の土壁。よく見ると人の手によって何層も手で突き固められた堅牢なものであることがわかります。

政庁西門。

政庁東門。

官衙建物展示室。当時の役所(官衙)の建物を復元したもので、内部は役所の仕事風景を展示しています。

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