平館城(岩手県八幡平市)

◆2020年5月5日(火)、5月9日(日)撮影
 平館は北岩手西根の中心地で、北は一戸、南は厨川に通ずる交通の要衝であった。平館城は平館集落西側の丘陵地帯の八幡神社裏手の山頂部と南側の最高所の舘山の2郭に分けられる。
 築城年代は不明。室町期からみられる地名で、陸奥国磐手郡平舘村。八戸南部氏の主要な所領であったとみられる。天正年間の城主は一戸城主一戸政連の弟信濃守政包が平舘氏を継ぎ、1,000石を領して当館を居城としたとあるが、それ以前は判明しない。

 一戸政連は一戸城を継いで兵部大輔政連と称し、一戸南部氏の庶流荒木田五郎(一戸五郎)光恒の子孫に当たると伝えており、 天正9(1581)年7月、平舘政包は九戸政実に誘われ、一戸城で一戸政連およびその子出羽を共に殺害して、南部信直によって知行召し上げとなったが、津軽石行重(宮古)の子が平館彦六と称して再興している。
Wikipediaより)

城全景。中央の岩手山の左側が平館城、右側が野駄館。

城への入口です。

入口にある「平館信濃守政包の城跡入口」の石碑。

主郭までの道は散歩道として整備されています。

虎口でしょうか?

主郭より一段低いところにある岩鷲山神社の祠。岩鷲山とは岩手山の別称で、ご神体は岩手山です。

神社からは岩手山が見えます。

主郭(1)

主郭(2)

主郭からの眺め。大泉院の敷地が見えます。

主郭裏にある深い空堀。ここからは最高峰の館山への道が続き、先ほどとは一転して登山道の様相を呈します。

一つ目の空堀。写真ではわかりにくいですが、かなり深いです。

二つ目の空堀。こちらは緩やかです。

比較的緩やかな登山道が続きますが、館山が近くなるとかなり勾配がきつくなります。

急峻区間の距離は短いですが、足場が悪いので要注意です。

館山山頂に到着。へったれ石です。平安時代初期に蝦夷征伐を行い東北各地に伝説が残されている坂上田村麻呂が岩の上で屁をこいて、岩が割れたと伝えられている。

山頂にある四等三角点。標高は349.2メートルです。

山頂にある館山のプレート。

山頂からの眺め。

館山山頂は広さからして、主郭ではなく見張り台があった場所と考えることが出来ます。一段低いところには人口的に整地された曲輪が巡らされています。

曲輪。右上が山頂。

ふもとにある八幡宮神社。

ふもとにある大泉院。

TOP旅の記録城のページ>平館城(岩手県八幡平市)