田子城(田子館)跡(青森県三戸郡田子町)

◆2011年5月13日(金)撮影
 田子城は、田子川の右岸、比高30mの丘陵上に築かれた平山城で、人工的に作られた堀によって牛尾館(前館)と佐々木館の二郭に分けられている。北から東麓には自然の濠である田子川、南は急峻な丘陵地帯で守られた要害である。さらに牛尾館は堀によって二つに分けられ、本丸に相当する大館と小館に分けられている。現在牛尾館は田子中学校敷地となっていて、牛尾館を大館と小館に二つに分ける谷は埋められてグランドとなり、城跡はほとんど造成によって破壊されている。わずかに牛尾館と佐々木館の間の堀切が残っているのみである。

 築城時期は、三戸南部氏が糠部郡に入部したときに家臣となった在地勢力の佐々木氏とされているが、詳細は不明。

 この城は、南部藩初代藩主である南部信直が生まれた城として知られる。信直は三戸城主22代政康の孫で田子城主南部高信の長男として生まれ、世継ぎのなかなか生まれなかった南部宗家である三戸南部氏24代晴政の養子となる。しかし、晴政に世継ぎの男子が生まれたので(後の晴継)、信直は跡継ぎを辞退し田子城へ戻ってしまう。しかし、25代となった晴継は暗殺され、宗家三戸南部氏が不在の事態となった。一族の会議で後継は改めて田子城主となっていた信直と決まったが、これを不服とした有力一族九戸政実が信直と対立するようになり、九戸政実の乱につながっていく。

 詳しい廃城時期は不明であるが、南部信直が1582(天正10)年に南部宗家の家督を継承して三戸城へ移った頃の可能性がある。

田子中学校正門脇にある案内板。

田子中学校正門脇にある「牛尾館跡」の碑。

案内板拡大。

佐々木館(写真左)と牛尾館(写真右)間にある堀切。

「佐々木館跡」の碑。

牛尾館跡。現在は田子中学校校舎とグラウンドになっています。

田子中学校敷地内にある「信直公居城牛尾館跡」の碑。ちなみに、中学校敷地内にあるので、平日の訪問は不審者に間違われる可能性があるので注意が必要です(笑)。個人的には人の行き来しやすい場所に設置して欲しいものです。

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