◆総統地下壕(Führerbunker)◆

 ドイツのベルリンにあった総統官邸の地下壕を指す。
 ブランデンブルク門を通ってホテルアドロンを南に曲がったところにあるヴイルヘルム通りには、総統官邸のほか、外務省、法務省、財務省、国民啓蒙・宣伝省、航空省(現在は連邦政府の財務省)等、政府の中央官庁が並び、それぞれに地下壕が設置されていた。
 1935年、総統アドルフ・ヒトラーは総統官邸の中庭に地下壕を設置させた。当時は主要施設に地下壕を設けるのは特別なことではなかった。戦況の悪化を受けて、1943年に防御機能を高めた地下壕が新たに建造された。二つの地下壕は階段で接続されており、約30の部屋に仕切られていた。新造部分は「Führerbunker」(総統地下壕)と呼ばれ、旧造部分は「Vorbunker」(旧地下壕。字義通りに解釈すれば、総統地下壕の手前に位置する地下壕)と呼ばれた。
 総統地下壕は攻撃に耐えられるよう、厚さが上面で4メートル、四周と下面では最低でも2.5メートルものコンクリートによって造られ、深さは15メートルに達した。構造は強固で、空襲やソ連軍によるベルリンの戦いにも耐え抜いた。
 総統地下壕は地下水位よりも低い深さに急ごしらえで建築されたため各所で水漏れが起きており、ヒトラー自身が換気を嫌ったため空調は良好ではなく、決して完璧なつくりとはいえなかった。
 1945年1月16日からヒトラーはここでの生活を始め、ベルリン市街戦末期の1945年4月30日にここで自殺した。
 戦後はソ連や旧東ドイツ政府によって取り壊そうと試みられたが、あまりにも強固な作りだったために完全に撤去することはできなかった。1990年代の大規模宅地開発の際にも掘り起こされたが、埋め戻されてしまっている。
 ネオナチの聖地になる懸念から長年場所は非公開だったが、2006年6月8日に跡地に案内板が設置された。現在の跡地には駐車場などが存在する。
Wikipediaより)

この駐車場の地下に総統地下壕が眠っています。

解体直前の1947年7月に撮影。総統官邸の庭園に面して総統地下壕の入口がある。総統アドルフ・ヒトラーと夫人エーファ・ブラウンの遺体は地下壕入口の左側に掘られた穴で焼却された。中央にある円錐状の構造体は警備員の待避壕として用いられた。 (Wikipediaより)

戦後は半ばタブー視されていた総統地下壕ですが、現在は場所を示す看板がひっそりではありますが設置されています。

地図中の⑦が総統地下壕。

現在、付近は1990年代の大規模宅地造成によって閑静な住宅街となっています。

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