◆旧松尾鉱業鉄道線(岩手県)

◆2009年5月31日(日)、6月7日(日)、6月14日(日)撮影
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 所在地
東八幡平駅(ひがしはちまんたい) - 0.0 八幡平市
鹿野駅(ししの、7.1km) 7.1 7.1
田頭駅(でんどう、9.7km) 2.6 9.7
大更駅(おおぶけ、12.2km) 2.5 12.2
※廃止時のデータ

(概要)
 松尾鉱業鉄道は、かつて岩手県岩手郡松尾村(現:八幡平市)の東八幡平駅と、西根町(同)の日本国有鉄道(現JR東日本)花輪線の大更駅との間を結んでいた鉄道路線である。
 松尾鉱山から産出される硫黄鉱石を運搬する目的で敷設され、1914(大正3)年の創立時には手押しトロッコであったが、馬車鉄道、軽便鉄道、専用鉄道と変遷を繰り返したのち、戦後の1948(昭和23)年に地方鉄道として開業した。
 最初は貨物運搬専用であったが、地方鉄道として開業した1948(昭和23)年に旅客運搬も始めるようになった。
 その後、接続する国鉄花輪線が現在に至るまで非電化の中、1951(昭和26)年に当時としては珍しい完全電化となり、松尾鉱山の従業員家族の足だけではなく、八幡平を訪れる観光客の重要な足にもなっていた。しかし、1969(昭和44)年松尾鉱山の閉山に伴い重要な収入であった貨物輸送がたたれてしまい、1972(昭和47)年に完全に廃止された。



D田頭駅周辺拡大地図
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E鹿野駅周辺拡大地図
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@大更駅
松尾鉱業鉄道線の大更駅は、JR大更駅から200mくらい平舘方面にいった所に駅があったそうです。
A大更駅周辺の遺構
大更駅から北方向に行って、国道282号線との交点。

黄色の部分が線路跡と予想されます。

明らかに線路がここに敷かれていた跡です。
B大更=田頭間の遺構(1)
大更駅方向。中央の道路ではなく左側の石置き場が線路跡だそうです。
C大更=田頭間の遺構(2)
Bの地点より若干進んだ地点。
D田頭駅周辺
旧松尾鉱業鉄道線の中で唯一残っている駅舎跡です。
E鹿野駅周辺
鹿野駅舎は現在全く残っておらず、その跡には公共施設が建っています。
F鹿野=鹿野変電所間の遺構(1)

舗装道路左側のあぜ道が線路跡のようです。

H鹿野変電所周辺拡大地図
G鹿野=鹿野変電所間の遺構(2)県道23号線交差
H鹿野変電所跡

この奥に鹿野変電所跡があります。

鹿野変電所の建物を発見。

うっすらと「鹿野変電所」と書かれているのが分かります。

さらに奥に進んだら行き止まりでした。
I東八幡平=鹿野変電所間遺構(1)
J東八幡平=鹿野変電所間遺構(2)

現在は遊歩道に転用されています。
K八幡平市松尾歴史民俗資料館に展示されているED25形電気機関車
ED25形電気機関車(ED251)
この電気機関車は松尾鉱業鉄道が完全電化された1951(昭和26)年に導入された。廃止から20年以上にわたって盛岡市内の解体業者の手にあったが、近年になって旧松尾村に寄贈され、現在は八幡平市松尾歴史民俗資料館に展示されています。
L東八幡平駅

東八幡平駅跡には、現在松尾東八幡平ビジターセンターが建っています。
終点の東八幡平駅(昔は屋敷台駅と呼ばれていた)構内で建材業を営んでいた東日産業跡地には、物置として使用されていた貨車3輌と(ワフ5、ワフ7、ワ9)客車2輌(スハフ7、オハフ9)が今でもおかれています。
国鉄オハ31系客車
日本国有鉄道の前身である鉄道省が1927(昭和2)年から導入した、国鉄で初の鋼製車体をもつ客車の形式群。オハフ9はこの系統。

中は倉庫として使用されていたようです。

この車両が「オハフ9」であるという証拠です。
<参考サイト>
空中写真で見る松尾鉱山鉄道
廃線後の1976(昭和51)年に撮影された空中写真です。軌道敷がまだ明確に伺えます。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)
大更駅付近
東八幡平(屋敷台)駅付近
松尾鉱山跡
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