(上り)鶴見駅新鶴見信号場→(下り)((貨)梶ヶ谷貨物ターミナル駅)→府中本町駅
JR東海道本線貨物支線(品鶴線)・武蔵野線(貨物専用線)・南武線貨物支線(尻手短絡線)
新鶴見信号場
(Shin-Tsurumi)

◆2014年8月15日(金)撮影
開業:1929(昭和4)年8月21日

所在地:川崎市幸区鹿島田・小倉


キロ程:13.9km(品川起点)、3.9km(鶴見起点)、1.5km(尻手起点)
駅名由来

その他

※参考、引用サイト:Wikipedia
(歴史)
 かつての新鶴見操車場。明治大正期における近代工業の発展に伴う貨物量増大に対応するため、当時の東京の東海道本線の貨物拠点駅だった汐留駅や品川駅の負担軽減を目的に、東海道本線貨物支線の品鶴線開業と同時に営業を開始。東海道本線と東北本線や中央本線を結ぶ貨物列車の中継点として、大宮操車場や田端操車場などとともに、東京周辺の主要な操車場として機能した。最盛期の1968(昭和43)年頃には約5,000両の貨物取扱があり、東洋一の規模であった。しかし、昭和45年から50年代にはいるとトラック輸送に押されたことによる旧国鉄の貨物部門の全国的な合理化の一環として、1984(昭和59)年に、ヤード集結形貨物輸送の終結に伴い半世紀にわたる操車場の歴史に幕を閉じ、一部機能を残して、信号場に格下げされた。
 操車場は0.79km2(約24万坪)と広大であったため、対岸の往来のために北から鹿島田跨線橋、小倉跨線橋、江ヶ崎跨線橋の3つの橋が架けられた。そのうち、江ヶ崎跨線橋は、1896(明治29)年に建設された常磐線の隅田川橋梁で使われたプラットトラス橋や、1895(明治28)年に建設された東北本線の荒川橋梁で使われたポニーワーレントラス橋を転用して架けられたもので(ちなみにプレートガーター橋部分は制作年代と由来は不明)を、歴史的価値が高く、1992年には「かながわの橋100選(神奈川県)」、1994年には「鉄の橋百選(土木学会)」に選定された。
しかし、老朽化が進んだことから2009(平成21)年に旧橋は撤去され、一部は横浜市中区の霞橋に転用され、その面影を見ることが出来ます。

鹿島田跨線橋

隣接する新川崎駅。

鹿島田跨線橋より撮影(北側)。

鹿島田跨線橋より撮影(南側(1))。
ここには新鶴見機関区が置かれ、たくさんの電気機関車が配置されています。

鹿島田跨線橋より撮影(南側(2))

鹿島田跨線橋より撮影(南側(3))

新鶴見機関区の建物。

小倉跨線橋より撮影(北側:新川崎駅方向)
左が武蔵野線(貨物専用線)、右が湘南新宿ラインや横須賀線電車が走る品鶴線。

小倉跨線橋より撮影(南側(1))。
左が品鶴線、中央が武蔵野線(貨物専用線)、右が操車場跡地。

小倉跨線橋より撮影(南側(2))。
直進する線路は鶴見方向へ進む武蔵野線(貨物専用線)、左へそれる線路が尻手短絡線。

貨物線と尻手短絡線の分岐付近にある「江ヶ崎踏切」。

「江ヶ崎踏切 尻手短絡線 0K283M」の表記が見えます。

この先、南武線の尻手駅に繋がり、さらに川崎貨物ターミナル駅、東京貨物ターミナル駅と繋がっています。

近くの江ヶ崎跨線橋から分岐点を撮影。手前右に進む線路が尻手短絡線で、手前左に進む線路が貨物専用の武蔵野線。

江ヶ崎跨線橋より撮影(北側:新川崎駅方向)。
右の線路が武蔵野線(貨物専用線)で、さらに右の高架が湘南新宿ラインなどが通る品鶴線。左の広大な敷地が操車場跡。

小倉跨線橋より撮影(南側)。
操車場跡の敷地には建物が建ち始めています。

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