◆一戸町(岩手県二戸郡)◆
(2011年7月3日(日)撮影)

一戸町(いちのへまち)は、岩手県の北に位置する町である。人口は14,179人(推計人口、2011年3月1日)。江戸時代は奥州街道の宿場町として、明治時代以降は東北本線の機関区が置かれて難所であった中山峠を越えるための蒸気機関車が常駐するようになり、鉄道の町として栄えた。最盛期には機関区で働く職員は200人を数えたという。現在は鉄道の電化により機関区が廃止され、現在はひっそりとしている。


根反の大珪化木
 岩手県二戸郡一戸町根反の馬淵川支流の根反川の岸辺にある国の特別天然記念物である。
珪化木とは、地中に埋没した樹木の幹や根などにケイ酸分の多い地下水等がしみ込み、長期間の作用により酸化ケイ素に置換されることによって、材質全体が石化したもので、完全に置換されると年輪など植物組織がそのまま保存される一種の化石である。
 根反の大珪化木は新生代第三紀(2000万年前〜1600万年前)に降った火山灰に埋もれ、立木のまま珪化木になった珍しいもので、樹種はセコイアメスギである。セコイアメスギは北米の太平洋岸に現存するものの、日本では絶滅した樹種である。
高さ6.4m、直径2m、幹の周り約7mと、日本で発見された珪化木の中では最大級である。1936(昭和11)年12月16日に国の天然記念物に指定され、1952(昭和27)年3月29日に特別天然記念物に格上げされた。

珪化木は坂を下った川のほとりにあります。

特別天然記念物であることを示す石柱。

現地の案内板

浪打峠の交叉層

国指定天然記念物 浪打峠の交叉層 指定年月日 昭和16年8月1日

交叉層とは、普通「偽層」(クロスラミナ)と呼ばれ、地層が斜めに交叉する小規模な地層のことで、流動している水中または空気中で、砂や細礫がなどが堆積するときに生ずるものといわれています。
ここ浪打峠の交叉層は海水の中で堆積したもので、砂や軽石の粒や火山岩の粒が主な堆積物で、美しい縞模様を造りながら積もり、明瞭な交叉の様子を見せています。この交叉層は、その外観が美しく、規模も大きいことから、国の天然記念物として指定されました。
この地層は「末の松山層」といわれ、海底火山の噴出が盛んであった時代に、海水の中で、堆積した「末の松山層」の、上位の部分の地層で、今から1500万年前に堆積したものと考えられています。
浪打峠は別名「末の松山」ともいい、昔一戸から福岡(二戸市)へ抜ける「奥州街道」となった場所です。

(※現場にある案内板から)



ちなみに「末の松山」とは、陸奥を代表する枕詞の一つであり、古代の歌人に和歌として詠まれ、現在も百人一首などに残されています。その場所について諸説ありますが、この岩手県二戸郡一戸町の浪打峠とも、かつて国府のあった宮城県多賀城市八幡(やわた)とも言われます。


二戸側より撮影。現在、この旧奥州街道の大部分は農免道路として整備されています。左が浪打峠に向かう本来の旧道で、右は後年整備された道路で、奥には浪打トンネルが見えます。
ちなみに一戸側からの自動車でのアクセスは出来ず、現在はこの二戸側のみが可能となっています。ちなみに自動車が一台通ることが出来る幅しか無く、また急な坂とカーブの連続する道路なので注意が必要です。

浪打峠への途中にある山下水。

現地の案内板。それによると、1976(明治9)年に明治天皇が東北巡幸の折りこの地を訪れ、浪打峠での野立てが行われた際にこの水が使われ、大変喜ばれたことから御膳水と呼ばれる名水になったと言うことです。

現在でも水がわいています。

山下水からさらに登ると浪打峠に到着。これは現地にある石柱。

真ん中の切り通しは奥州街道を造るために人工的に掘ったものでしょうか。

風や雨の風化によって変わった自然の造形を見ることが出来ます。

層に近寄ってみると、貝の化石があちこちにあり、かつてここが海であったことがわかります。

「北白川能久親王御休憩之碑」

「明治天皇御野立所之碑」。前述した山下水を使って野立てをしたという。

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