◆盛岡市(岩手県)◆
舟橋跡(明治橋)



(2010年10月23日、11月6日撮影)
新山(しんざん)は、盛岡城下の入口で、北上川舟航の起点であり、奥州街道の要でもあった。北上川は当初舟渡しであったが、しだいに諸国の人々の往来や物資の流通が激しくなり、寛文5年(1665)金540両あまりを投じて土橋を架け、利用者からは橋銭を徴収し、さらに盛岡以南の村々から新山橋管理税を徴収して維持経営にあたった。ところがたびたび大洪水で流失したので、天和2年(1682)に大船18艘・中船2艘を九戸産の鉄で作った鎖で両岸の大黒柱各4本につなぎ、舟の上に長さ2間半から3間の板294枚を敷いて、人馬が自由に往来できるようにしていたものが明治初年まで利用されていました。
(案内板より)

その後、1875(明治7)年に木造の明治橋が架設され、現在の明治橋は1932(昭和7)年に架設されたものです。この舟橋は全国的にも有名で、南部舟橋と呼ばれ、現在この跡は盛岡市指定史跡となっています。

現在の明治橋。

明治橋付近、盛岡市下町資料館向かいにある明治橋の碑。

舟橋跡。明治橋の下流側にある中州付近にその痕跡を見ることが出来るそうです。対岸にある建物は、江戸時代の後期に建造された土蔵(米蔵)で、現在は「盛岡市下町資料館」として使用され、庶民の生活用具や新山舟橋ゆかりの資料約1,000点が展示公開されています。

「盛岡市下町資料館」。


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