◆平等院(宇治市)◆
(2012年2月11日(土)撮影)

 
京都の南にある宇治は、平安時代より貴族の別荘地として栄えていた。宇治川の西岸にあるこの平等院の地には、光源氏のモデルと言われる源融(みなもとのとおる)が9世紀後半に造らせた別荘があった。その後、宇多天皇の手に渡り、宇多天皇の孫である源重信の手に渡った。998(長徳4)年には源重信の夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼道が受け継ぎ、「宇治殿」と称した。1052(永承7)年に頼通は宇治殿を天台宗の寺院「平等院」としたといわれており、1053(天喜元)年には阿弥陀堂が建造され、阿弥陀堂には木造阿弥陀如来座像が安置されたといわれる。

当初は広大な敷地に幾多の建物があったが、1336(建武3)年に楠木正成と足利氏の争いをはじめ、幾多の災害により建造物の大半が焼かれ、応仁の乱で更に衰退した。当時から残っているものは、阿弥陀堂(現在は「鳳凰堂」と呼ばれている)と鎌倉時代に再建された「観音堂」だけである。

鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、52体の雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏している。 壁扉画、日本三名鐘の一つといわれる梵鐘とともに国宝。

また、国宝である鳳凰堂は10円硬貨の図柄として刻印され、鳳凰堂屋根に飾られている鳳凰が1万円紙幣の図案として使用されているのはあまりにも有名。

表門

鳳凰堂(国宝)を横から撮影

鳳凰堂を正面から撮影。10円硬貨として有名。

鳳凰堂中堂
鳳凰堂に安置されている本尊阿弥陀如来像は、日本の仏像作家を代表する仏師定朝によって平安時代後期、1053(天喜元)年に造られ、現在唯一確認される定朝たものです。

鳳凰堂中堂内部を望遠撮影

左写真を拡大。鳳凰堂中堂内部には写真中央に見られるような極彩色の絵画が埋め尽くされていたが、長年の風雨による劣化が激しくほとんど残っていない。

鳳凰堂内部から庭園を撮影

鳳凰堂を後ろから撮影

鳳凰堂屋根上に飾られている鳳凰像(複製)。現物は別途保管されている。製作は阿弥陀堂の創建と同時期であると考えられている。こちらは1万円紙幣の図案に使用されている

鳳凰堂の鬼瓦

梵鐘(国宝)。日本三名鐘の一つといわれる。鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。ちなみに、60円切手(1980年発行で現在は販売終了)の図案にも使用されている。

浄土院
平等院の塔頭で、明応年間(1492〜1501)に平等院修復のために建てられた寺と伝わる。

南門。この門は豊臣秀吉が1596(慶長元)年に築城した最初の伏見城からの移築と伝えられている。

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