◆金閣寺(京都市)◆
(2010年2月18日(木)撮影)

正式名称は「鹿苑寺」。京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院。寺名は足利義満の法名「鹿苑院」に因む。もともとは鎌倉時代の1224(元仁元)年に藤原一族の藤原公経(西園寺公経)(さいおんじきんつね)がこの地に北山第を造営したのが始まり。鎌倉幕府滅亡後、没落した北山第を、室町時代を代表する北山文化を作った足利将軍三代目足利義満が、将軍職を辞し太政大臣になった1397(応永4)年に譲り受け、「北山殿」と呼ばれる大規模な邸宅を造営した。邸宅とは言っても、御所に匹敵する大規模であったという。義満の死後遺言により、邸宅は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺になった。1950(昭和25)年7月2日未明、放火により国宝金閣(舎利殿)と安置されていた仏像等を焼失。後に再建され、現在に至る。



金閣(舎利殿)

金閣(舎利殿)

京都三松の一つに数えられている「陸舟の松」。この五葉松は義満の盆栽から移植され、帆掛け船の形に仕立てられたものとされており、舳先は西の方角を向いている。これは、この船に乗って西方浄土に向かうという発想からこの形に仕立てられたものという。

「龍門滝」。鯉が滝を登ると龍になるという中国の故事「登竜門」に因んだ「鯉魚石」が置かれている(写真中央)。

安民沢と呼ばれる池。ひでりが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていました。池中の小島には、白蛇塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守などとも伝え、この池は同家当時の遺跡をとどめている。

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