◆清水寺(京都市)◆
(2012年2月10日(金)撮影)

山号は音羽山。778(宝亀9)年に僧延鎮が音羽の滝の上に観音様を祀ったことが始まりで、798(延暦17)年に坂上田村麻呂が千住観音像を安置するための仏殿を建立した。13世紀には現在の規模になっていたと推定されるが、記録に残っているだけで9回焼失していて、現在の建物のほとんどは17世紀前半に再建されたもの。清水寺の仁王門や三重塔、鐘楼、経堂その他の多くの建物が重要文化財に指定されています。

清水寺境内までは「清水坂」と呼ばれる坂道が連続し、おみやげ屋さんが軒を連ねり、一種の門前町を形成していました。

結構な傾斜であることが分かります。

仁王門(重要文化財)。
寺域の西端にある正門で、応仁の乱の後の15世紀末に再建された室町時代の建築物で、安置されている仁王像は鎌倉時代作のもので、京都で最大といわれています。

三重塔(中央)(重要文化財)
平安時代初期の847(承和14)年に創建されたが、幾多の火災によって焼失と再建を繰り返し、現在の塔は1632(寛永9)年の再建。その後、塔は昭和62年(1987)に古様式に則って解体修理された。

本堂内。本堂は、1633(寛永10)年に徳川家光の寄進により建立されたもの。

「清水の舞台」として有名な「本堂舞台」です。高い建物に慣れた現代人でも、足のすくむ高さです。

本堂舞台からの眺め。写真中央の尖塔は京都駅前の京都タワー。

下から見るとさらに圧巻で、この本堂の高さがわかります。

清水寺の名称の由来になった「音羽の滝」で、古来「黄金水」「延命水」とよばれ、日本十大名水の筆頭にあげられる有名な水だそうです。
阿弖流爲(アテルイ)・母礼(モレ)の顕彰碑。
阿弖流爲は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者である。789(延暦8)年に日高見国胆沢(現在の岩手県奥州市)に侵攻した朝廷軍を撃退したが、坂上田村麻呂に敗れて降伏し、京都の地まで連れてこられ、河内国(現在の大阪府東部)で処刑された。
この碑は、1994(平成6)年に田村麻呂のゆかりから建立された。

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