◆天龍寺(京都市)◆
(2012年2月11日(土)撮影)

 正式には霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)という。かつてこの地には、平安時代初期に嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786年〜850年)が開いた檀林寺があったが、その後約4世紀を経て荒廃していった。その後、後嵯峨天皇(在位1242年〜1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年〜1274年)はこの跡地に離宮を営み、「亀山殿」と称した。

この亀山殿を寺に改め、天龍寺としたのが足利尊氏である。敵方であった後醍醐天皇の菩提を弔うため、 当時高僧して名高かった夢窓国師を開山とした。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という幕府公認の貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられ、元に派遣されたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の1345(康永4)年に行われた。

天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、現在の嵐電帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)あたりにまで及ぶ広大なものだったが、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には1358(延文3)年、1367(貞治6)年、1373(応安6)年、1380(康暦2)年、1447(文安4)年、1467(応仁元)年と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の1815(文化12)年にも焼失、さらに幕末の1864(元治元)年、禁門の変(蛤御門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。



天龍寺勅使門
境内東端にあり、天皇からの使者(勅使)を迎えた時だけ開かれた門。桃山時代の様式を伝えるこの門は寛永年間(1624〜1644)のものとされ、天龍寺で残っている建物の中では最古のものである

法堂(はっとう)
もともとのものは、1864(元治元)年の火災で焼失。その後明治時代に江戸後期建立の雲居庵禅堂(選佛場)を移築、禅宗七堂伽藍のひとつとした。

庫裏(くり)
1899(明治32)年の建立。庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持つ。

曹源池庭園(そうげんちていえん)
夢窓国師作と言われ、創建当時の面影を残す数少ないもの。わが国最初の史跡・特別名勝に指定されている。

多宝殿
後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、現在のものは1934(昭和9)年建立。

方丈にある雲龍の襖絵。この絵は1957(昭和32)年に物外道人によって描かれたもの。

大方丈内に安置されている本尊の釈迦如来坐像(重要文化財)。平安時代後期の作とされ天龍寺の造営よりもはるかに古い。天龍寺が受けた都合8度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像で、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古い像。

かつて法堂の天井を飾っていた雲龍図。明治時代、鈴木松年によって描かれたものであるが、傷みがひどかったため、現在は1997(平成9)年、加山又造により描かれたものにかえられ、毎年2月に大方丈にて一般公開している。

天龍寺の裏手には見事な竹林の道があります。

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