C12 60蒸気機関車
福島県福島市「福祉センター」(旧川俣線岩代飯野駅前)にて静態保存

◆2014年2月8日(土)、9月13日(土)撮影
C12形蒸気機関車
 国鉄C12形蒸気機関車(こくてつC12がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。
 軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式のC56形が派生した。
 昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められた。しかし折から経済恐慌が深刻化し、建設費を安く抑えるため簡易線が数多く建設された。このような路線には軸重が軽く、運転コストの安い新型の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになった。

 鉄道省(国鉄)向けとしては1932(昭和7)年から1940(昭和15)年まで、および1947(昭和22)年に合計282両が製造されている。製造メーカーは川崎車輛、汽車製造会社、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業の5社である。火室は深く設計され焚火しやすく、38号機以降は、アーチ管を増設して伝熱面積を増加し蒸発量を増やす改良が行なわれている。

 全国各地の比較的短距離の閑散線区、あるいは入換用として長く使用されたが、気動車の進出に伴い1959年から廃車が始まった。しかし、貨物輸送のある簡易線などの需要もあり、後継機の開発の遅れから蒸気機関車の末期まで使用された。SL末期まで使用された形式にもかかわらず、梅小路蒸気機関車館には収蔵されなかったが、各地で静態保存されており、そのうちの2両が動態復元された。現在、動態保存としての運転が行われているのは真岡鐵道のC12 66のみである。

C12 60履歴
C12 60蒸気機関車
この蒸気機関車は、川俣線を走っていたものと「同型」のものです。
ちなみに、川俣線で活躍したC12 66は廃線後に川俣町で静態保存されていたものを1991(平成3)年に真岡市に無償譲渡され、翌年から1993(平成5)年まで復元工事が行われて「現役復帰」し、現在は真岡鐵道の「川俣号」として活躍しています。

機関車の歴史:私は蒸気の力で走る機関車で、川俣線を走った機関車と同型です。名前はC1260で昭和9年3月20日が誕生日です。働いていたところは福 知山線・加古川線(兵庫)西舞鶴線(京都)境線(鳥取)伯備線(鳥取、岡山)です。その走った距離は、約144万qで、丁度地球を約35回廻ったことにな ります。私は27年間の長い勤めを終えて昭和47年5月15日飯野町に落ち着きました。
(現地案内板より)

(一部Wikipediaより)

(2014年9月13日(土)撮影)

(2014年9月13日(土)撮影)

(2014年9月13日(土)撮影)

(2014年9月13日(土)撮影)

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