旧国鉄八戸線(貨物支線)湊駅跡

2012年10月27日(土)撮影
 魚市場から出荷される水産品や、木炭などの工業資源などの輸送拠点として重要な拠点であった八戸港に隣接して1894(明治27)年10月1日に日本鉄道支線(現在の八戸線)の駅として開業した。1924(大正13)年11月10日に八戸(現在の本八戸)〜種市間が延伸開業するまでは終着駅であった。
 当初は貨物列車だけではなく旅客列車(混合列車)も運行されていた。1974(昭和49)年10月1日に本八戸〜湊間の旅客営業が廃止されて貨物支線となり、湊駅は貨物駅となった。その後1977(昭和52)年7月には高架化なども行われたが、輸送手段がトラック輸送に移行し、1985(昭和60)年3月14日に貨物支線が廃線となると同時に廃止となった。

1975(昭和50)年の航空写真から作成。
@本八戸駅にある専用線の痕跡?

本八戸駅の北側ホームに不自然な空き地があります。昔の記憶では線路が敷設されていたと思うんですが、それがただの側線なのか、かつての専用線のためのものなのか不明です。
A八戸線との分岐点

左が貨物支線で、右が八戸線

「1977-8」のプレート。「1977年8月」

同じく橋桁に設置された鉄のプレート。腐食が激しくて判別が難しいですが、「第一湊高架橋」とかろうじて読むことが出来ます。
B高架橋切断部分

安全のために、道路と交差するこの部分は高架橋が切断されています。

このあたりから、高架橋はなだらかな下り勾配になっていきます。
C高架橋終点

この地点で高架橋は終了します。

高架橋部分を見てみると、バラストがそのまま残されていました。

反対側。真ん中の道路が路線跡。
D道路転用区間(みさき通り)

この区間は、「みさき通り」として整備されています。

説明板。
(一部抜粋)
ここは明治27年湊線が開業したとき、終着駅となった湊駅があったところです。
隣接する第二魚市場に水揚げされた大量の新鮮な魚介類は、湊駅から貨物列車で全国に送り出され、「水産都市はちのへ」の名を全国に広めました。
その後、トラック輸送が主流となり湊駅とレールは昭和60年に姿を消しましたが、地域のみなさまの熱意により、平成6年、「みさき通り」として生まれかわりました。

「みさき通り」竣工記念として設置されたED75-79型第1動輪。

そのそばには説明板が設置されていました。
E旧湊駅跡

みさき通りを進むと、右に緑地帯が見えます。かつての湊駅の構内です。

湊駅に隣接していた御前神社。

駅のその先はすぐ八戸港です。
F第二魚市場駅への分岐線

湊駅を歩いていると、いかにも昔に線路がありましたと見える不自然な空き地が見えます。これがかつてあった第二魚市場駅への分岐線です。

現在は砂利道になっているので発見は容易です。

さらに前に進むと第二魚市場が見えます。

第二魚市場。ここに第二魚市場の貨物駅があったようです。

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