◆(仮称)営林署葛根田川森林軌道線(岩手県)◆

◆2011年8月11日(木)、8月26日(金)、2013年6月12日(水)、11月12日(火)撮影
(概要と歴史)
 かつて岩手県雫石町は林業が盛んで、青森営林局雫石営林署が設置されていました。現在の雫石駅南口には貯木場があってそこを起点に鶯宿森林軌道本線、鶯宿森林軌道南畑大倉沢線、そしてここで紹介する葛根田川森林軌道線の3つの路線が引かれ、切り出した木材の運搬が行われ、また木材運搬のついでに当時道路事情の悪かった沿線住民を乗せることも行っていて、貴重な足としても活用されました。この3路線とも昭和30年代に廃止になったとのことで、現在では路線跡は道路に転用されたり、もともと鉄材やコンクリートを多用した作りではなく、簡易な木製だった部分も多かったため、その遺構はほとんど残っていません。
(注)文献や情報が乏しく、主に国土地理院発行の旧版地形図が頼りの綱となりました。まだまだ未確認部分が多いですが、とりあえず暫定版としてアップしておきます。

国土地理院発行地形図(1/25,000(雫石)(S22.11.30発行))を引用

中心の下寄りにある「雫石駅」の下に「林用軌道」との表記が見えます。

国土地理院発行地形図(1/25,000(雫石)(H12.6.1発行))を引用

赤線が路線跡と思われるところ。ただし、左の地形図の森林軌道線の記述が曖昧なところや、左右の地形図に誤差による若干の歪みがあって厳密に一致しない部分があるため、若干修正を試みています。
雫石駅より右下に延びているのが「鶯宿森林軌道」。
@雫石駅南口と「営林署貯木場踏切」
現在は広場と駐車場として整備されている敷地には、かつて森林軌道で運ばれた木材を一時的に貯蔵する「貯木場」が置かれていました。雫石駅の盛岡側にある踏切に「営林署貯木場踏切」とあるのがその名残です。
A路線跡
現在は道路となっています。
B田沢湖線との交差地点
この地点で田沢湖線と森林軌道は交差します。

「八掛踏切」の秋田よりが交差地点です。
ちょうどこの時、秋田新幹線の車両E3系が通りました。

そこで疑問が発生します。
森林軌道の路線は、写真左下からちょうどこの地点あたりで交差して、写真右上にそれますが、右側は雫石川の河岸段丘となっていて高くなっています。当時の非力な蒸気機関車がこの急勾配を登れたのかどうかが不明です。

国土地理院発行地形図(1/25,000(雫石)(S22))を引用

そこで、当時の地形図を見てみると、森林軌道は現在の田沢湖線(当時は橋場線)の下を通って交差していることになっています。ちなみに雫石駅から西(地形図では左)は1944(昭和19)年にいわゆる不要不急線として休止となって線路が撤去されて路盤だけが残されていました。
あくまでも推測ですが、どうやら、田沢湖線は現在よりも高い位置にあった可能性があります。
C国道46号線旧道との交差地点

写真左から右へ路線がありました。

この先が田沢湖線との交差地点です。路線跡は消滅していますので、どの位置にあったのか判別しませんが、どうやらこの民家と柵に沿ってあった可能性があります。

右にそれる道路かその道路に隣接して路線跡があったと思われます。
D高前田一里塚
路線からすぐ近くに、江戸時代の秋田街道に設置された一里塚があります。
E国道46号線バイパスとの交差地点
森林軌道があった時代はこのバイパスはありませんでした。
F
この道路が路線跡ではなく、左側にあったものと思われます。
なお、この周辺は農地造成で路盤が無くなっています。
G石仏橋
森林軌道はこの上流部で葛根田川を渡っていたようですが、橋の痕跡が一切残っていませんでした。どうやらコンクリートを一切使わない木橋だったのかもしれません。

ちなみに、この石仏橋は3代目で昭和62年竣工のもの。当然、森林軌道が現役の時代にはありませんでした。

石仏橋の上流側に隣接してあった橋脚跡。森林軌道の橋脚跡かと思いましたが、どうやら違うみたいです。
道路橋である石仏橋は現在3代目(写真左)のもので、この橋脚跡は、昭和37年竣工の2代目のもののようです。
H
この区間は舗装道路に転用されています。
I
この区間は、未舗装の道路となっていますが、森林軌道時代の雰囲気を残す数少ない場所となっています。
J
J〜Lまでは舗装道路に転用されていたり、作業用道になっていたりと様々です。
K
L M路線跡(?)

地形図によればこの付近での森林軌道線の記述が不鮮明なところが多いので、MとNどちらが路線跡なのかが判別していません。便宜上Nを路線跡としましたが、Mも一応掲載しておきます。
N

おそらく路線跡(?)ですが確証はありません。もしかしたらMかもしれません。この区間は藪になっていました。
O

地形図によると、ちょうどあの林の付近で森林軌道が終わっていますが、実際はこの先、玄武洞を通って現在の葛根田地熱発電所付近まで通っていたとのこと。今回はここまでの調査でしたけど、時間を見てこの先の調査も行いたいと思います。

終点付近にある「東北電力葛根田第二発電所」。
2013年度調査

国土地理院発行の当時の地形図を見ると、はO付近までで路線がとぎれています。
しかし、「知られざる自然」によれば、1961(昭和36)年発行の観光ガイド「岩手 八幡平 秋田駒」(村井正衛著、山渓文庫)に、この路線についての記述があり、路線もここより先の玄武洞を通って鳥越の滝まであったとのことです。

「橋場線雫石駅から、西山発電所終点までバスで行き、それより葛根田渓流に沿う約十キロ奥の温泉場(注:滝ノ上温泉のこと)だ。現在雫石営林署の森林軌道が通じているものの、運行不定期の軌道にはあまり依存ができず、結局枕木の上を歩いてしまう場合が多い。しかしこの軌道は近く撤去して、自動車道路に切替えることに決定している。」


この区間の大部分が現在の県道194号線に転用されているようですが、玄武温泉近くの葛根田川右岸に路線跡の痕跡が、鳥越の滝手前に橋台と思われる遺構が残されています。

国土地理院発行地形図(1/25,000(雫石)(H12))を引用
(17)
玄武温泉付近の路線跡(?)
玄武温泉付近の葛根田川を挟んで対岸(右岸)には不明瞭な段差が見て取れます。
この部分は不明瞭で文献等の不足もあって確証はありませんが、線形や現地の状況から判断するとどうやら路線の跡ではと思われます。この区域は自動車道化を免れた数少ない区間となっています。
しかし、この付近は1999(平成11)年に起こった地震により道路の一部が崩落し、その後大規模な付け替えや砂防ダムの建設が行われているので、路線跡にどのような影響があったのかは良くわかりませんでした。

玄武大橋を渡る手前の左側に不自然な空間があります。写真上では黄色の看板の下がそれにあたります。

対岸から見ると、路線跡のような段差が川岸にへばりつくように通っているのがわかります。

路線跡のような雰囲気があります。

この跡には東北森林管理局の境界標があちこちにあり、国有林であることを示していますので、ここは一般道路の跡ではなく、林道か路線跡である可能性が高いことを示しています。
(18)
鳥越の滝手前の橋台跡(?)
この滝ノ上トンネルは1971(昭和46)年となっていますので、葛根田地熱発電所建設のために作られたものと思われます。あくまでも推測ですが、かつては森林軌道用のトンネルだったものを、道路転用時に拡張したものと思われます。

滝ノ上トンネルの雫石側。手前の橋が滝ノ上橋です。

滝ノ上橋のそばに草に隠れて判別が難しくなっていますが、橋台らしきものが残されています。

この滝ノ上トンネルは昭和46年12月に出来たことを示す銘板がありました。

この滝ノ上トンネルはかつては森林軌道用のトンネルとして使用されていましたが、廃止された後の昭和46年に道路用として再度掘削されて拡張されたのかもしれません。

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