(上り)生田原駅常紋信号場(廃止)→(下り)金華信号場西留辺蘂駅
JR石北本線
常紋信号場(廃止)
(Jōmon)

◆2022年5月2日(月)撮影
開業:1914(大正3)年10月5日
廃止:2017(平成29)年3月4日


所在地:北海道北見市留辺蘂町金華

キロ程:148.0km(新旭川起点)
駅名由来
北見側(旧留辺蘂町)の呂郡(ところぐん)と遠軽側(旧生田原町)の別郡(もんべつぐん)からつけられたものである。

その他
2001(平成13)年7月1日のダイヤ改正で交換設備の使用が停止され、当信号場における列車交換がなくなった。その後も閉塞区間の境界として存続し、本線に設置されている信号機も引き続き動作していたが、2017(平成29)年3月4日のダイヤ改正で正式に廃止された。

※参考、引用サイト:Wikipedia

国道から常紋信号場への入口。目立つ青看板があるのでわかりやすいです。

特に立入禁止の柵やロープはありませんでしたのでそのまま侵入。

一車線で自動車のすれ違いは難しいです。

次第に石北本線のレールが見えてきます。

分かれ道にやって来ました。左が現在は廃集落になった常紋集落でかつ有名な鉄道撮影場所があるらしいのですが、今回は時間の関係で断念。右側が常紋信号場への道です。

まもなく常紋信号場です。事前情報だと、柵が締まって立入禁止とのことでしたが、訪問時、柵は空いた状態で、敷地内立入禁止の標識はありませんでしたが、線路内立入禁止と熊注意の標識はあちこちありましたので、熊除けの鈴と携帯ラジオを装備して慎重に進みました。

使用されなくなって久しい引上線。

スノーシェードと信号設備もそのままです。

引上線はスノーシェードないで切断されていました。

さらにスノーシェード内を進みます。

さらに進むと現在使用されている線路が見えてきます。常紋トンネルへはどうしてもこの線路を必ず通らないといけないのですが、線路立入は非常に危険ですので、引き返しました。

なんとかして常紋トンネルへ行こうとスノーシェードの外側から接近を試みます。

さらに進むとおそらく鉄道官舎の建物で行き止まり。さらに建物左へと迂回をしようとしますが藪で一筋縄ではいきません。結局はトンネルへの接近は諦め、後日列車に乗っての接近を試みます。

廃止となった引上線と現役線。かつてはX字の線路配置でスイッチバックしていました。

金華信号場」でも話題にした「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」。
1980(昭和55)年11月、当時の留辺蘂町と追悼碑建立期成会によって、金華信号場西方の高台(金華小学校跡地)に石北本線を見下ろす形で建てられた。常紋トンネルは、生田原駅と金華信号場の間にあり、遠軽町と北見市とを結ぶ常紋峠下を通る、標高約347m、全長507mのトンネルで、36ヶ月を要する難工事となり、1914(大正3)年に開通した。とくに凄惨なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。本州から集められた「タコ」とよばれた労働者は、わずかな食事と過酷な労働から、1914年10月の工事完了までの間に100人を超える死者を出した。そして、監督の指示に従わなかったためにスコップなどで撲殺されたタコ労働者が、見せしめのためにトンネル内に人柱として立てられたという話が言い伝えられていたが、1968(昭和43)年の十勝沖地震での壁面損傷に伴う改修工事を行ったところ、1970(昭和45)年9月、常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事中に、レンガ壁から60センチメートルほど奥の玉砂利の中から、頭蓋骨に損傷のある人骨が発見され、人柱の伝説は事実であったことが明らかとなった。

TOP旅の記録路線各駅巡礼写真のページJR石北本線(北海道)>常紋信号場(廃止)(北海道)