◆東北鉄道鉱業線(岩手県)※未成線

◆2013年5月18日(土)撮影

(概要)
  明治期から大正期にかけて、日本の工業化は急速に進み、燃料としての石炭の需要は急速に伸びていった。そこで東北鉄道鉱業(株)は自社が所有する岩手県下閉伊郡小川村大字門(現在の岩泉町)にあった小川炭鉱から産出する石炭を運搬することを目的に、さらに沿線の豊富な森林資源の運搬、また鉄道空白地帯であったこの地で旅客営業を行うことも視野に入れた鉄道建設計画を立ち上げました。
 折しも1922(大正11)年の改正鉄道敷設法別表に「小鳥谷より葛巻を経て袰野付近に至る鉄道及び落合付近より分岐して茂市に至る鉄道」が予定線として示されてから鉄道敷設の気運が高まり、1922(大正11)年5月30日には小鳥谷〜小本間の鉄道建設が認可(鉄道免許交付)され、1926(大正15)年11月4日には現在のIGRいわて銀河鉄道線小鳥谷駅にて盛大な起工式が行われ、その様子は写真として残されています。
 計画の第一期として小鳥谷〜小川村(現在の葛巻町)間の約53kmの工事が建設費660万円を見込んで着工されました。1929(昭和4)年当時には小鳥谷〜葛巻間の約24kmの40%程が完了していたものの、一会社で工事が困難な山岳地帯の鉄道敷設工事は容易ではなく、関東大震災や世界恐慌の影響を受け、資金難に陥り工事は中止。その後、別会社が引き継いだが、鉄鋼界の不景気で計画は終わった。最終的には1941(昭和16)年7月23日に小鳥谷〜門間の鉄道免許が取消された。背景には現在の岩泉線(当時は小本線)が着工して石炭の輸送路が確保されたことが影響していると思われます。
 路線は計画では小川炭鉱近くの門(かど)から馬淵川に沿って北西に進み、葛巻町を経て一戸町小鳥谷地区にて東北本線に接続する136kmの路線、また門から東へ進み太平洋側の小本を経由し、そこで南進して茂師港(もしこう)に到達する約40kmの路線、合計約200km弱の本線に加え、さらには落合で分岐して茂市に至る、現在の岩泉線にほぼ一致する支線が約30kmという、当時の東北地方では最大の私鉄計画でした。

 この路線は長らく忘れ去られていましたが、近年「鉄道廃線跡を歩く(10) 」によってその存在が知られるようになりました。
また地元一戸町で2011年5月1日〜15日にかけて「幻の鉄道計画90周年展〜東北鉄道鉱業線〜」が開催され、展示会では、鉄道敷設免許申請書や同免許、建設費概要書などの資料が展示されました。私も展示に行ってきましたが、それまでそういう路線計画があったことすら知りませんでした。

 その後、いろいろ 下調べを行い、ようやく2013年に訪れることが出来ました。 現在確認できている遺構は、「姉帯地区の橋台跡(第四馬渕川橋梁)」と「岩上地区の隧道跡(岩上隧道)」と「国境峠の未成線跡」の3つです。

東北鉄道鉱業線と現在の路線の概略図

国土地理院発行地形図(1/50,000(一戸)(H16)+1/50,000(葛巻)(H17))を引用
@小鳥谷駅「姉帯踏切」

小鳥谷駅の青森寄りにある「姉帯踏切」

奥に見えるのは起点となる予定だった小鳥谷駅の跨線橋。痕跡は残っていません。もし路線が出来ていたら、写真左側へカーブするよう延びていたものと思われます。

「小鳥谷葛巻間実測平面図 第一巻」。線路の敷設をどのように行う予定だったのかがわかる貴重な資料。
下にあるのが小鳥谷駅。緩やかなカーブを描いて右方向へ線路が続いているのが見えます。
A県道薬師橋付近の橋台跡(第四馬渕川橋梁)

この未成線唯一のはっきりとした遺構である橋台跡。

並行してかけられている道路橋には「薬師橋」との銘がありました。ちなみに「昭和三十八年三月竣工」の銘があり、この未成線とは一切関係がないです。

築堤が若干残されています。

ここからは作業用道路にするために切り崩されていました。

路線跡。今でも鉄道が走っても不思議ではない雰囲気がありました。

まもなく路線跡は県道に合流。

この実測図ではこの橋台跡は、「第四馬渕川橋梁」と記されていますが、図面上では薬師橋の上に位置し、現在の橋台跡は反対側の下にあって異なります。この橋台跡は先代の「薬師橋」の跡のようにも見えますが、詳細は不明です。
ちなみに中央にある文教施設は「旧姉帯小学校」で2000年に廃校となっていますが現在も同じ位置にあります。

国土地理院発行地形図(1/50,000(葛巻)(H17))を引用
B岩上隧道
ちょうど県道のある所から川を隔てて反対側に位置しているのですが、そこまでの移動は林道がありますので比較的容易です。

現場は県道からこの林道に入って、この分岐を右へと歩道路を降りていきます。軽自動車程度でしたら乗り入れが可能のようですが、路肩が崩れる危険性がありましたので、大事を取ってここからは徒歩で接近を試みました。

道路を下ると廃集落が広がっていました。往時には数世帯が生活していたようです。例の隧道は上流側にあります。

この隧道は廃集落の一段高いところにあります。見るからに人力で掘った素堀の隧道です。

かつては近道として人の行き来ができたそうですが、現在はこの葛巻側は半ば埋もれ、小鳥谷側は確認できませんでしたので完全に口が埋められたものと思われます。
C国境峠

国土地理院発行地形図(1/50,000(門)(H15))を引用

岩泉町と雫石町の境に位置する国境峠。この未成線の最大の難所だったところです。

この地点で標高650mです。おそらく未成線はトンネルで峠越えを回避する予定たっだと思われます。
D国境峠岩泉町側にある遺構

国境峠を越えて岩泉町側に少し進むと右手に鳥居が見えます。

近づいてみると、鳥居の前に不自然な平らな部分がありますが、これが路線の跡と言われています。

例の神社の所から国境峠方向に進むと国道340号線に沿って(白いガードレールが国道)林道が続いていますが、もしかしたら路線跡なのかもしれません。

さらに進むと、林道は左にそれ、空き地となっていきます。
この付近はなだらかな上り坂で、なるべく高度をかせいだところで必要最低限のトンネルを造って国境峠を越えようとしたものと思います。
(注)この部分は林道が何本かあるため、どれが未成線跡なのかが明確ではありませんので、あくまでも候補の一つです。

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